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鳥獣戯画にまつわる話。明恵上人の思想と京都デニム。

鳥獣戯画(鳥獣人物戯画)とは?800年以上も愛され続ける理由

ウサギやカエルなどが戯れる様子を親しみやすい絵柄で描いた鳥獣戯画(鳥獣人物戯画)。
今なお根強い人気を誇り続けるそのキャラクター達は、何と800年も前に描かれたものなのです。

鳥獣戯画は、平安時代末期から鎌倉時代初期に描かれた国宝の絵巻物。
京都生まれの戯画の名手・鳥羽僧正覚猷(とばそうじょう かくゆう)によって描かれたと言われています。


が、実は詳細は不明。
全部で、甲・乙・丙・丁と呼ばれる4巻から成り、それぞれ描かれているものや筆使いが異なるため(時代も異なりますし)、複数の作者によって描かれたとする説が有力です。

最もよく知られるカエルとウサギが相撲をしているシーンは甲巻に載っており、この巻の前後でも筆使いが異なります。
筆使いの違いを見比べてみるのも面白いかもしれません。

(ちなみに、相撲発祥の地は奈良県香芝市。奈良時代から相撲はすでに存在していたようです)


ウサギを投げ飛ばして得意げにしているカエルとひっくり返るウサギを見て笑い転げる3匹のカエルたち。
とてもユーモラスで躍動感に溢れる動物達は今にも動き出しそうです。


漫画の祖・鳥獣戯画

鳥獣戯画のユニークで動的な筆使いは、現代の漫画に通じるところがあり、「日本最古の漫画」とも。
今や日本文化の主要な位置を占める漫画やアニメの原点が「鳥獣戯画」だったのです。

世界でも類のない、日本人の漫画大好きな民族性は、800年前にすでに始まっていたんですね!
なるほど実に合点がいきました。


各巻紹介
甲巻が有名ですが、他の巻もユニークで楽しいですよ。

甲巻
動物たちが相撲したり水遊びしたり色々戯れる様子を描いています。鳥獣戯画と言えばこの巻。
相撲シーンは第16紙後半から第18紙に載っています。

乙巻
大きめの動物(馬、牛、山羊など)や空想上の動物(龍、麒麟、獅子)が描かれています。動物図鑑としての意味合いが強いそう。

丙巻
前半は人々が遊戯に興じるところを、後半は甲巻と同じように動物が戯れる様子を描いています。

丁巻
他の3巻とは違い、丁巻には人間しか登場しません。ラフスケッチのような絵柄と効果線はまさに漫画と言えます。

甲・乙・丙・丁の全4巻を並べると、44メートルにもなるのだそう。一度全部並べて眺めてみたいですよね。

現在、東京国立博物館に甲巻・丙巻が、京都国立博物館に乙巻・丁巻が委託保管されています。
原本は一定の期間しか公開されません。実物を見たい方は機会があればぜひ。

鳥獣戯画の伝わる古刹・高山寺さん

京都市右京区栂尾(とがのお)にある高山寺さんは、鳥獣戯画が伝来したお寺として有名で、世界遺産です。
また、日本で初めてお茶が栽培された場所でもあり、「日本最古の茶園」があります。
(現在もこの茶園のお茶・栂尾茶を購入できますよ)

「日本最古の漫画」に「日本最古の茶園」。
これだけで歴史ある由緒正しいお寺であることが分かると同時に、大変興味が湧いてきますよね。

なぜ鳥獣戯画とお茶が伝わったのかと。
高山寺さんとは一体どういうお寺なのかと。

これを語るには、「明恵上人(みょうえしょうにん)」の存在は欠かせません。

明恵上人を語らずに鳥獣戯画は語れない!?


明恵上人は、高山寺を開山した僧侶で、非常に学徳の高い人。
動物好きで一途であるなどその人柄の良さで、当時から多くの庶民に崇拝されていたそうです。
(ちなみに日本で初めてお茶を栽培したのがこの明恵上人)

明恵上人と言えば、

・夢記(ゆめのき)
・右耳切断
・透視ができた
・動物と話ができた
・和歌が好き

などの様々な面白い?エピソードが知られています。

夢記(ゆめのき)
明恵上人は、自分の見た夢を、19歳から58歳に渡り詳細に記録し続けました。それが夢記(ゆめのき)です。
昨日見た夢でさえ曖昧であやふやになりがちな夢を約40年も記録するなんて、忍耐強いことこの上なしですね。

右耳切断
お釈迦様への尊敬や憧れを強く抱いていた明恵上人は、志を継ぐために右耳を切断しました。人として形を変えて俗世を離れ、お釈迦様の思いに適うように、という求道精神からだそうです。

透視ができた
厳しい修行の結果、箱の中のモノが見えるようになったと言われています。明恵上人ならできてもおかしくない、と思える説得力があります。

動物と話ができた
動物が大好きだった明恵上人。犬や鳥と会話していたと伝えられています。
人を超えた境地に達した明恵上人なら、不可能ではないのでしょう。素直に羨ましいですね。

和歌が好き
歌人としても優れた才を持っていた明恵上人は、たくさんの歌も残しています。特に有名なのが、月の明るさを読んだこの歌。

「あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかあかや月」

どこかで見た方も多いかもしれません。常人には到底思いつかない自由な発想力でありながら、きちんと三十一文字になっています。


高山寺さんを築いた明恵上人は、自分に厳しく謙虚で思慮深く知識もあり、美形で人柄が良く庶民にも愛されていた、と。
部分的に見れば異常に見える行為も、きちんと理由があってのこと。

「とにかくすごかった」としか言いようがありませんね。
あらゆる意味で素晴らしい方だったことが分かります。


鳥獣戯画との繋がり

何の目的で作られたのかも、何を表しているのかも、誰が書いたのかも何も分からない…。
可愛らしい動物たちとは裏腹に、全てが詳細不明の鳥獣戯画。

この曖昧であやふやな感じは、まさに「夢」です。
ミステリアスで愛らしくもあり、ポップでありながら妙に現実的でもある絵柄は夢そのもの。

もしかすると、鳥獣戯画に描かれている動物たちは、明恵上人の見た夢の光景を描いたものなのかもしれません。

動物好きで夢に重きを置いた明恵上人と、詳しいことは一切不明な不思議な絵巻物・鳥獣戯画。

そして、明恵上人と鳥獣戯画は、どちらも現代においても愛され続ける人気のキャラクター。

あらゆる点がリンクしています。

明恵上人の開いた高山寺さんに鳥獣戯画が伝わったのは「必然」と言えるでしょう。

この必然性が、鳥獣戯画の800年以上も愛され続ける理由に違いありません。

明恵上人の思想「あるべきようは」

「あるべきようは(阿留辺畿夜宇和)」は、明恵上人の哲学を表した重要な思想です。

この言葉は、「あるがままに」という意味でもなく、「こうあるべし」という意味でもありません。

流れに任せるのでもなく成りたいものに固執するのでもなく、様々な状況に臨機応変に対応し考えよう。
善と悪、精神と肉体、生と死など明確に区別して生き方を狭めず、違いを認めて共存するのが大事。
モノと心、人と自然は、ひとつながりに連続していて分断されるべきものではない。

「この世が必然的に存在しているように私たちもそうあろう」という明恵上人の考え方です。


京都デニムの目指すところ


「あるべきようは」

京都デニムの伝統をつなぐという活動が目指すところと、明恵上人のこの思想は近しいものがあります。

京都デニムは、着物に用いられた染色技法・京友禅染めを世界で初めてデニムに施しました。

それは、今と昔をつなぎ合わせるものであり、
和と洋を融合させるものであり、
美と技術を共存させるものです。

現在は、多くのお客様に受け入れられ支えられたおかげでブランドとして確立していますが、初めは批判を受けたデニムに京友禅染めというスタイル。

この自由な発想と柔軟な思考は、明恵上人のユニークな和歌「あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかあかや月」にも通じるところがあると言えます。

伝統文化を重んじつつ、未来を見据え形に臨機応変に変化させる。
そして、用の美として日常に根ざす新たな伝統文化を作り出す。
京都デニムが目指すところはそこにあります。

明恵上人という偉人との共通点。
京都デニムが鳥獣戯画を用いた作品を作り販売しているのも、やはり「必然」なのです。

京都デニムの生み出した作品が、将来、鳥獣戯画のように何らかの「原点」と言われるようになれば、それほど喜ばしいことはありません。


現在復旧工事中。明恵上人の高山寺さん

明恵上人の築いた高山寺さんは、京都市右京区栂尾(とがのお)にあります。

創建は奈良時代に遡るほど古く、自然の中に佇む様は何とも言えない奥ゆかしさと趣深さを味わえます。

静かな山の中から望める四季折々の景色は筆舌に尽くしがたいほどです。

鳥獣人物戯画がお好きな方、明恵上人に興味を持たれた方はぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。

文化遺産を後世に伝えていくために

そんな歴史あるすばらしい高山寺さんですが、先の台風で甚大な被害を受け、現在は修復工事中。

そこで私たち京都デニムは何か助けになればと、高山寺さんから鳥獣人物戯画柄の使用許可をいただき商品化しました。

ご購入金の一部は、高山寺さんに納められ、復旧支援金としてお使いいただいております。

明恵上人の遺した高山寺さんを未来につなぐ一助になれば本懐です。


高山寺さんは現在、復興プロジェクトとしてクラウドファンディングをされています(〜2019年12月28日)
https://a-port.asahi.com/projects/kosanji/


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>>京都デニム公式サイト

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