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1079-1107年[在位 1086-1107年/22年/8歳で即位]
父:第72代 白河天皇 
母:藤原 賢子(中宮)
妻-子: 
 篤子内親王(中宮)
 藤原 苡子-第74代 鳥羽天皇 他

1086年、父の第72代 白河天皇が退位し、8歳の時に即位。皇位継承者とされていた父の異母弟・実仁親王が15歳で亡くなったのを受け、白河天皇が自分の子孫に皇統を継がせたいと考えたためである。

母・賢子の養父・藤原 師実が、また堀河天皇が成人した頃には藤原 師通が補佐した。堀河天皇のまつりごとは評価が高かった。

第50代~第77代の天皇系図

1091年 白河上皇の同母妹・篤子内親王(第22代 賀茂斎院)が各方面の推挙で入内した。堀河天皇が12歳、篤子内親王が31歳という年齢差で子どもはなかったが仲睦まじく、中宮は文化的な嗜みを天皇に教えた。1098年 白河法皇の従妹・藤原苡子が入内、第74代 鳥羽天皇をもうけた。苡子は難産のため亡くなり、皇子は白河法皇のもとで育てられた。

1099年 関白の師通が急逝し、若い後任にまつりごとを任せることができず、白河法皇が堀河天皇を補佐することとなった。次第に堀河天皇は横笛や和歌の制作に没頭するようになっていった。

1102年、岡崎の六勝寺のうち、尊勝寺を造営。1107年、もともと体の弱かった堀河天皇は、29歳で在位のまま亡くなった。

堀河天皇 後圓教寺陵
(京都市右京区龍安寺御陵ノ下町)
龍安寺の裏の朱山に一条天皇陵の西に並ぶ
御陵から双ヶ岡方面を見る

『京都遠足』P46
https://www.worec.jp/03kyoto.html