「教祖」になった日
こんにちは。
突然ですが私の本名を知っていますか。
知らない人もそれなりにいるし、読み方を知っていても漢字までは知らない人がほとんどだと思います。なんせ私が自己紹介をしないので。
ところで自己紹介って本当に無意味ですよね。お前のことなんて興味ないよって感じです。そんなこと言いつつ私は記憶力が異常なのでたいていの(余計な)ことは覚えています。大事なことは覚えていられないんですけどね。
さて今回わざわざnoteを使って記事を書こうと思ったのには理由があります。
友達が書いていて、いいなー!って思ったからです。
単純。
やっぱりそういうのってマネしたいじゃないですか、私もやりたい!ってなる。ガキなので。
たぶん友達はスマホで記事を書いていると思うんですが、私はパソコンで書いてみようと思います。特に意味はないので、そのうちスマホでも書きます。タイピング練習だと思って書いていこうかな。最近レポート多いし。
自分で話をしておいて完全に忘れていたのですが私の本名についてです。
本名に関してはここで言うつもりもないんですが、私としてもあまり知らないでいてくれていいんですよね。名前がキライだとかそういうわけではなく、言霊的なノリです。名前を知る、使う、使われるということは魂の支配、隷属だと習いました。ピンとこない人に向けて分かりやすい例を出すと、『千と千尋の神隠し』が特にそうです。もうどのシーンかわかりますよね。千尋から千になったところです。今日からお前の名は千だ。って普通に考えて頭おかしいでしょ。名乗らせておいて勝手に名前変えるなってなります。あれも魂の支配なんですよね。だからハクも支配から逃れられなかったというわけですね。これで納得していただけたでしょうか。どうしても納得できない人はここで読むのをやめてください。これからもっと頭のおかしい話が続きます。
さて、みなさんは名前を知られる、使われる=魂の支配ということまでは理解ができたと思います。でも限度ってありますよね。社会に出て働く上で名前は必須です。私のように人前に出ることが多い仕事に就きたい場合なんて全世界に名前をさらけ出しているようなものじゃないですか。別にそれが悪いとは言いません。仕方のないことです。南無阿弥陀仏。
だからせめて普段の生活の中では名前を最小限にとどめたいのです。その結果なんて呼ばれているか私でもわからない状態になってしまいました。
最近で本名が推測できないものだと「とと」「教祖」「とうきょう」「キング」あたりですかね。じぶんでも把握してないので適当に呼んでくれたらと思います。なんて呼ばれるかより誰に呼ばれるかじゃないですか。人によって返答のテンションは変わります。
とにかく名前を呼ばれるのはあまり好きじゃありません。
職種に関わらず芸名が使えたらいいんですけどね。あなたならなんて芸名を自分につけるでしょうか。好きな人の名前からつけたり、アナグラムなどで作ってみたり。色々な方法がありますよね。あなたがどんな名前になろうと興味がありませんが。それはどんな人でも同様なことだと思います。
これだけ長く書いたものの、「教祖」の由来には言及していませんでした。びっくりですよね。私が一番驚いています。しかもなんと今回この記事では書きません。本当に驚きの連続です。また気が向いたら書きます。
ひとまず、この記事は終わりにしようと思います。
今後何か書いてほしいことだったり、気になることがあったりした場合はリプなりDMなりコメントなりで教えてください。ふーんって思っておきます。今回は控えめでしたが次回からは本当に自由に書きます。読んでいて不快な思いをしたらその時点で読むのをやめてください。私のせいにされても困るので。
今日のお昼はパスタでした。
教祖
Twitter(@kyoso_m)