HOW文化、WHY文化



昨夜、アキ氏@miyadai_nametaiが日本人は何故、どうしてという気持ちを大切にと言うようなツイをされてて思い出したのが、大昔の記事、これなんかが30年以上後に俺が近代文明図解に大きな影響を与えているのだから面白い。
何のことはない、WHY=哲学、HOW=科学であり、日本人は近代文明から参入しているので文明化の知識がスッポリ抜けていることに気づかされたのだ。

以前朝日新聞のeメール時評というコラムにニューヨーク市立大学教授の霍見芳浩氏が、「HOW文化、WHY文化」という題で書いていらしたのを思い出した。内容は米国の火星探索ロケットの着陸失敗と小淵総理の時代の話題なので省くが、僕が常々疑問に思っていた「目的」と「手段」という事をいみじくも表してていたので面白かった。

「権力追従と前例重視の日本がHOW文化で、権力監視と前例破壊の米国がWHY文化、という違いによる」と、日本と米国の国民性の違いを端的に表現されていて、

「WHY文化の人間は常になぜ、何をすべきなのかを考えて行動し、その結果責任を負う(これが本当のアカウンタビリティー)。HOW文化の人間は失敗を隠し、与えられたことを前例にならっていかに上手にこなすしか考えない。その結果責任は、互いに問わず、失敗はその場の言い逃れで済ませて過ちをくり返す。」

と述べた後、

「日本のルネサンスには明治初期にはあったWHY文化の再生が欠かせないが、まずHOW文化の欠点に気付くのが必要だ。」

と結んでいる。

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