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追悼アントニオ猪木…のはずが春一番も思い出す。私の二人のヒーロー

猪木が死んじゃったよーーーーーっ。涙、涙、涙。2週間が経ちましたが、追悼の作文を捧げたいと思います。

2022年〈令和4年〉10月1日、アントニオ猪木が79歳で亡くなった。”燃える闘魂”は全身性トランスサイレチンアミロイドーシスという難病と最後まで闘ったのだ。

もう三途の川は渡っているのか。ひねくれたプロレスファンの私は向こう岸でジャイアント馬場がニコニコ待っているとは思わない。面倒なのが来たな…と葉巻を吸いながら趣味の絵を描いているだろう。

直立不動で猪木を待っている男は想像がつく。アントニオ猪木のモノマネ一本で勝負した芸人、春一番だ。

私はビートたけしのお笑いウルトラクイズに出ている春一番が好きだった。顔は猪木なのに体はガリガリ体型の春がプロレスラーに痛めつけられるが、最後は「今日は負けてしまいましたが…」と1.2.3ダーッ!で締める流れだ。

極度に痩せた体は主食がアルコール、というくらい酒浸りの生活を送っていたからだろう。そんな春を見かねたビートたけしが飯を食えと炊飯ジャーをプレゼントしたのだが、そのジャーにまでウィスキーを注いだという逸話もあるほどの酒好きだった。楽屋には必ずワイルドターキーとグラスがセットされていた。

もちろんアントニオ猪木との関係も深い。モノマネは本人公認で、彼も大の猪木信者だ。インターネットプロバイダのCMで二人は一緒に出演したこともあった。

春がICUで死の淵をさまよっていた時、見舞いに来た猪木が「元気ですかーっ」と叫んだことで生還したというのは当時のお笑い、プロレス好きならだれもが知っている?エピソードだ。

2014年7月、春は47歳の若さで死去。アルコール性肝硬変だった。亡くなってから8年が経っているので世間からは忘れられているかもしれない。猪木のモノマネをする芸人は何人もいるが、私は春一番の猪木が一番好きだ。

闘魂ビンタをいつかもらいたかった。私のように40代のプロレスファンならみんな思うことだろう。

追悼番組では猪木の腹を思いっきり殴った予備校生がカウンターのビンタで張り飛ばされる”闘魂ビンタはじまりの映像”が流れている。

映像を見ていると左頬がひりひりする感覚が甦る。共感覚?デジャブ?…どちらも違う。思い出した。私は25年前に闘魂ビンタを受けている。ビンタの主はアントニオ猪木ではなく春一番だった。

友人の企画したイベントのスペシャルゲストとして春一番は登場。新日本プロレスのTシャツを着ていた私は彼の目に留まり、壇上に上げられ闘魂ビンタをもらったのだ。かなり昔のことなので詳しいことは思い出せないが…猪木仕込みのシャープなビンタだった記憶がある。

イベント終了後に私を見つけた彼は「大丈夫だったか?痛くなかったか?」とやさしく声をかけてくれた。カッコいい…私が春一番信者になった瞬間だ。

猪木vs長州は生観戦できなかったけど春一番(猪木)vs神無月(長州)の大一番は後楽園ホールで観戦した。薄暗い照明の中で始まった二人の闘いはお笑いなしのアントニオ猪木VS長州力そのもので、二人がまじめにやればやるほど会場の笑いが止まらなかった。

私もそろそろ春一番の年齢に近づく。同じく酒飲みなので体に気を付けていかなければ。あれ?猪木追悼の作文だったような。曰く、一寸先はハプニング。ンムフフフフフ。

アントニオ猪木、春一番
私のヒーロー二人に捧げます。
闘魂よ、永遠なれ!

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