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中島らもを探して

Xを見ていたら、ふいに中島らもが徹子の部屋に出ている映像が流れてきた。

中島らもさん、私が中高生の多感な時期に出会って、すごく影響を受けた人だ。
コピーライターでイラストレーターで、作家で役者でミュージシャン。多才な人だった。
そして無類のお酒好き。
らもさんがバーの階段から落ちて亡くなった時は、ショックだったけど、らもさんらしいと思ったのは事実。

影響もあってか漫画、ロック、演劇、小説、辺境旅行と、らもさんが好きなものが昔から好きだった。最近、そこにプロレスも加わって、いよいよ極まった感がする。「不適切にもほどがある」中島らもさんの言動。令和の世にご存命だったら何を物申すのだろう。

らもさんが主催していた劇団「リリパット・アーミー」の舞台も、下北沢スズナリに観に行った。
最後に客席に向かって「ちくわ」が投げ入れられたのを覚えてる。たぶん武蔵美の1年の頃。

その後、下北沢には古着屋巡りで良く行くようになり、らもさんにもどこかで会えないかな、と思ってた。そうしたら一度だけお見かけした。でも声はかけられなかったな。

らもさんの著書の中で一番好きなのが「僕に踏まれた町と僕が踏まれた町」だ。

その中に「その日の天使」という一節があって
「どんなにいい事がなくて、電車のホームから飛び降りたいような気持ちになっても、神は必ず1日に1人『その日の天使』を遣わす。それで少しでも笑顔になれれば、最悪な日を生き延びることができる」
という内容だったと思う。今、本が手元にないからうろ覚えだけど

ちなみに、らもさんの「その日の天使」は、石焼き芋屋の調子っぱずれな呼び声だったそう。
笑ってしまって、死ぬのをやめたのだそう。
ふいに出会うちょっとした出来事や、偶然に人は日々救われている。  
若い頃は今より、ずっと生きにくさを抱えていた私に、らもさんの言葉は優しく響いた。

著書をまた読みたくなって、出先の六本木の書店に寄ったら、目のつく平置きの棚に「今夜、全てのバーで」があった。
迷わず購入して、今読んでいる。
バーで読みたいところだけど、お酒は飲めないのでコーヒーと一緒に。  

あと、これは以前取材した北区十条の「斎藤酒場」と、らもさんのエピソード。

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