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豚骨魚介ラーメンのマイオピア

こんばんなまらステ🖤Kyoskéこと厚沢部煮切(あっさぶにるぎり)だべさっ✨

この動画を見て考えさせられたことなんだけどね。

この動画は概ねこんなことを言っている。

豚骨スープと魚介スープを合わせた豚骨魚介ラーメンというジャンルの歴史について、「渡なべ」店主の渡辺樹庵氏が以下の簡単な年表をつくり、歴史の流れを論じている。

1996年 中野「青葉
2000年 川越「頑者」 ※駅としては本川越
2002年 高田馬場「渡なべ」 ※2008年に開業した西早稲田駅の方が近い
2003年 麹町「めん徳二代目つじ田
2005年4月 大崎「六厘舎
2005年8月 千駄木「つけめんTETSU
2006年 松戸「中華蕎麦とみ田

そのうえでこのような講釈が始まる。

古くは「東池袋大勝軒」や「げんこつ屋」も豚骨魚介の走りではあったが、1996年創業の「青葉」が豚骨魚介という言葉を流行らせ、インスパイア店をたくさん生み出した。

2000年創業の「頑者」はラーメンを売りにした「青葉」と違いつけ麺を売りにしたことと、当時流行していた魚粉を入れたことがターニングポイント。魚粉の有名店としては1999年に創業した白岡「もちもちの木」がある。

2002年に創業した自身の店「渡なべ」は濃厚豚骨魚介を掲げ、豚骨魚介に2度目の革命を齎した。「青葉」から「頑者」までは豚骨スープと魚介スープを別々に取るWスープだが、「渡なべ」以降は一緒に取るシングルスープ。

ただし濃厚豚骨魚介は「渡なべ」が元祖ではなく大岡山「しま坂」が2001年創業で少しだけ先輩。しかし不思議と「しま坂」は話題にならず、濃厚豚骨魚介というジャンルを広めたのは「渡なべ」だという自負はある。また2001年には同じ高田馬場で「俺の空」が創業しているが、創業当時のスープは濃厚ではなく「渡なべ」が出てきた後に濃厚になった。

しかし渡辺氏のなかでは「渡なべ」の濃厚豚骨魚介は豚骨魚介の最終形とは考えておらず、「青葉」「頑者」「渡なべ」の流れの次があるのではないかと模索しており、2005年から2007年にかけて高田馬場に「渡なべ」とは別で出店してた「TOKYO NOODLE 六坊」という店では自身の考えるそれを出していた。

しかし豚骨魚介の最終形は別のプレイヤーに発掘されてしまった。

2005年4月創業「六厘舎」が濃厚豚骨魚介つけ麺に魚粉を入れたものが豚骨魚介の最終形となり、以降「TETSU」や「とみ田」などもそのベースのなかの店。以後、新しいものは出ていない。

それは「頑者」と「渡なべ」のベースの融合であり、「渡なべ」のあと2003年に濃厚豚骨魚介を「頑者」と同じようにつけ麺で売り出した「つじ田」にヒントはあったのに、どーしてそんな簡単なことに気付けなかったのか、と悔しさを滲ませる渡辺氏。

渡辺氏は以前からこの持論を展開しており、この動画では「つじ田」創業者辻田氏と議論を交わしている。

長い動画なので掻い摘んで見てもらえればいいけど、かなり最初の方で渡辺氏がほぼ同じ話を展開、後半ではそれに対して辻田氏が「自身の味でお客様に喜んでもらえているのなら何が悔しいのかわからない」という渡辺氏とは噛み合わないスタンスを見せる。

また、辻田氏自身の濃厚豚骨魚介つけ麺は衝撃を受けた「東池袋大勝軒」と「青葉」に税理士から紹介されたメンター的存在である「田中商店」の要素を組み合わせたもので、「頑者」や「渡なべ」の影響はないとしているのも印象的。ただし、開店前に「渡なべ」でも食べていることと渡辺氏に自身のつけ麺を試食してもらったことは認めている。

そしてこのやり取りは渡辺氏が豚骨魚介の最終形に辿り着けなかった理由が暗示されているようにも見えた。

辻田氏は結果的に「頑者」「渡なべ」の流れは継いだけど、元になっているのは「東池袋大勝軒」「青葉」「田中商店」というそれよりも古い店。別のとこで九段下(今は東京駅のみ)「斑鳩」の影響もあるようなことを言っているけど、「斑鳩」自体が「青葉」インスパイア店なわけで。

渡辺氏も「渡なべ」をつくるときも直近の「しま坂」ではなく、もっと古い店をベンチマークにしている。

新しいものを創るときって直近のものからだけじゃ生み出せないってことなんじゃないかと思う。

ムハンマドはキリスト教よりもユダヤ教から色々受け継いでイスラームを開いたわけで、歴史を知れ、古典を読めってことだよね。

「渡なべ」の次を模索していた渡辺氏は、いつの間にか「渡なべ」の枠に囚われてしまったんじゃないかなと。

しかし実は自らの生み出した濃厚豚骨魚介に、一時代前の「頑者」を組み合わせたらできてたわけで。

そんな折、なんとその「六坊」のラーメンをいま「渡なべ」で期間限定の復刻をしているという。

「六坊」は当初、関西の「無鉄砲」のような超濃厚な豚骨ラーメンを出していたけど売り上げが伸びず、模索してた豚骨魚介に切り替えたら当たったんだって。前者を初期型六坊、後者を後期型六坊と呼び、それぞれ時折復刻している様子。

最終形になれなかった豚骨魚介とはどんなものなのかと。

なお閉店理由は売り上げ不振ではなく立ち退きで、むしろ「渡なべ」より売れていたと。

それで町田に後継店を出していたこともあり、今浜松にいる弟子がさらにその後継店を出しているのだという。

ということで興味が湧いて食べてきた。

煮干しと油で食わせる上品なんだけどジャンクな味わいは「青葉」の真反対にいるというか、「青葉」の批判的継承なんだなぁと。

クオリティは凄いけど、マイオピア(近視眼)を感じるよ。

んで、ふと思った。

このタイミングで豚骨魚介の歴史動画をリリースするって要するに、後期型六坊の宣伝じゃねーかと。

まんまとハメられたよ💦

それじゃあバイバイなまらステ💛厚沢部煮切でしたっ✨






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