10年前の悪夢「関越道ツアーバス事故」を振り返る②高速ツアーバスとはなにか
こんばんナマステ🤎Kyoskéこと暑寒煮切(あっさむにるぎり)だよっ⭐️
2012年4月29日に起きた #関越道ツアーバス事故 から10年ということでのシリーズ2回目。
このシリーズを書くことは元から決めていたのだけど、ちょうど知床観光船の事故が起き、共通点もあるのでタイムリーな話題になってしまった。
せめてもの願いは高速バスがそうであったように、船についても体制を見直して安全性が向上すること。
昨日は初回ということで、事故の概要と東日本大震災がひとつの原因であることを書いた。
それに引き続く第2回は事故を引き起こした #高速ツアーバス とは一体なんぞやという話をしていきたいと思う。
一概に #高速バス と呼ばれていたものには2001年頃から2013年7月までの約12年の間は2種類存在した。
ひとつは道路運送法に基づき、交通機関、路線バスとして運行されていた #高速乗合バス 。代表的な会社はJRや大手私鉄、地方私鉄の系列が挙げられる。
もうひとつは旅行業法に基づき、 #貸切バス を用いたツアーという形態で運行というか催行されていた高速ツアーバス。旅行業界では都市間バス、それを略して「都市間」って言い方がよくされていた。
前者の関係者なりなぜか前者の肩を持つことが多いバスマニア的な人は後者を「高速バス」とは認めないし、制度上はそれで正しいんだけど、事情をよく知らない一般の人からすればどちらも「高速バス」なんだよね。
高速乗合バスは街中を走る路線バスや鉄道の仲間、高速ツアーバスはパックツアーだということさえ理解しておけば、細かい違いは全部理解できる。
例えば、高速乗合バスにはバス停があるけど、高速ツアーバスにはないとか、高速乗合バスは一定の手数料さえ払えばドタキャンできるけど、高速ツアーバスはキャンセル料が高いとかさ。実際に自分が電車に乗るときとパックツアーに参加するときに置き換えてみればいい。
だけど、一見して同じ高速バスだし、ユーザーにしてみれば単純に目的地に移動したいだけなんだから、予約購入時にいちいち違いなんて気にしないんだよね。
旅行業法自体は1952年から存在するのでもっと昔から高速ツアーバスがあってもよさそうなものだけど、2000年に乗合バスの需給調整が廃止される #規制緩和 が行われるまではこのようなバスを走らせることはできなかった。
ツアーである以上、高速乗合バスと同じ二地点輸送を行うことは許されず、必ず観光アクティビティを加えなければいけなかった。ただし「帰省」を名乗ればなぜかオッケーになっていたのも事実。「帰省」によって「規制」をすり抜けていた、ってことか。
でもそれって鉄道も航空もバスも満員という盆暮れの特殊な状況だから許されたんだよね。普段からそんなことをやられたら高速乗合バスからしてみたらたまらない、ってことで規制がかけられていたというわけ。お盆が終わって9月になっても帰省バスを運行し続けていたらすぐに刺された。
その状況が今世紀に入って一変することになる。
帰省緩和により、二地点間の移動でもツアーと見做されることになり、2001年からツアーの形態でありながら実際にはバス移動だけ、という商品が次々と売り出された。
最初は旅行代理店での販売が中心だったけれど、インターネット、特にガラケー・スマホでの予約販売が普及すると一気に高速ツアーバスの利用者が増えることになる。
高速ツアーバスはバス停を持たない。したがって、夜行バスが出発する時間になると新宿西口などは道路上に夥しい数のバスが路駐し、そして利用者で溢れるようになった。
すると利用者からバスの発着場所がわからない、という苦情が殺到することになる。
それと共に高速ツアーバスに対する安全対策の指針が高速乗合バスと比較して甘いんじゃないかとも言われていた。
そういったことから高速ツアーバスの催行会社も決して何もしていなかったわけではなく、2008年には高速ツアーバス連絡協議会というものを立ち上げていた。
ただ、それはあくまで自主的なもので、参加しなかったり、意欲の低い会社もあった。
関越道事故を起こした #ハーヴェストホールディングス も呼びかけに対してなかなか加入してくれなかったと聞いている。兆候はあったというわけで。
後からどうとでも言える、のかもしれないけど、協議会において近い将来の高速乗合バスとの制度統合を前提に安全対策をそれと同等のものにしていこう、と決めていた矢先に最悪の事態が起こってしまった、のだとか。
ここまでさも悪者のように書いてきたけれど、高速ツアーバスが伸びていったのにはそれなりの制度的な魅力もあった。
ひとつは繁忙期と閑散期で旅行代金(あくまでツアーなので運賃じゃないよ)に格差をつけることで、ユーザーにとっては閑散期に安く乗ることができ、提供側にとっては閑散期でも乗車率を高められ、繁忙期は高く売ることで利益を極大化できるというもの。
よくシート=コントロールとかレヴェニュー=マネジメントとかいうやつだけど、高速乗合バスは定価販売が原則のためそれができなかった。
もうひとつ言われていたのは、企画する旅行会社がどんな貸切バスを使おうと自由なので、繁忙期には色んなバス会社に運行をお願いすることができた。
高速乗合バスは自社のバスしか使えないから増便っていったって限界がある。
高速ツアーバスは盆暮れGWにはそれこそ無限に増発して需要に応えた。それが悲劇につながるんだけどね。
日本の高速バスは規制で雁字搦めになっていて、発展から取り残されていたのを高速ツアーバスが変革させたものは少なくない。男女を隣同士にさせないとかさ。
だけど、それはリスクと背中合わせだったということ。
ここまで背景について書いてきた。次回はいよいよ事故そのもの直接的な原因について書いていきたい。
それじゃあバイバイナマステ🤎暑寒煮切でしたっ✨
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