暮らしていくこと

暮らすとは

「時を過ごす。寝たり、食べたり、働いたり、遊んだりして毎日を生きる。生活する。」

暮らしとは

「生き物として生きていること。生きて活動していること。」

岩波新書の広辞苑第二版(昭和44年)によると

暮らし:暮①くらすこと。時日をすごすこと。②くちすぎ。生計。暮し向き。

とある。

広辞苑を久しぶりに紐解くが、義父の持っていたものからである。
(句読点も多く、デスマス調ではなくデアル調になってしまうのはいかにして、、この心境、不思議)

その広辞苑だと、過ごすは

すごす:過す: 養う、生計をたてる

なるほど。。。
 
これを打ってると外で鶯が鳴いている。先週から鳴いていてとても心地よい空気を感じてます、こういう環境も実は明日まで、、、

さて、本題にもどします。

暮らす:暮す:暗くするが言語(ほお。。。)
①日の暮れるまでの時間を過ごす。②月日をすごす。③生活する。世渡りをする。

ここのところ、一人の時間が多くなってしかも制限されていたから余計に色々と思いました

暮らしを立てていたのは、家族が色々と聞いてくれて足りないものを持ってきてくれたりしてくれたことが一番よかったことです

それと自分の体が動けること、食べられていること、ちゃんと考えて動けること、買い物に行けないことぐらいで自由なことであったこと


でも勝手の外に出られない状態だったことは、
例えば
一人暮らしとなり
高齢となり
体の動きが制限されたり
買い物もすることが困難だったり
生活スキルとしての自立していた部分が落ちてしまったり


そうなったら、今回のある意味自由に
物事を判断できて、自分が選択できる生活であったことは
よかったけれど
自分の選択が制限されたり、選択も出来ない状況になった時
そう思ったらいろんなことが
見えてくることがありました

まず家族がいる場合は
声をかけてお願いができること

そして仕事先にも今回は随分とご迷惑を
かけしましたが、助けていただきました

でもね
友達には甘えることはできなかったのです
友達って「おともだち」みたいな関係であることの
深さというか、、

以前はグループラインで話したことも今は遠慮します
グループLINEは連絡事項が一番で
いろんな話し合いはビジネスのグループラインならいいけど
友達のような不特定多数だったり、
なんとなくの集まりだったり
ちょっと意気投合したグループでの会話には
難しい側面が多いですね

個人的にした方が良いと思う
となると、、個人的にヘルプを出せる友達がいないな〜っていうのと
今回はそれほど深刻ではなかったのでしなくてよかったということ

ではもし
助けて!SOSを出せる場所があるかというと。。。。
そこはその時にどういう自分の社会的な環境だったり状況にも
よるのかなと思ったり
仕組みがあることがいいとしても
その仕組みを知ることができているかどうかとか
ヘルプの出し方ができるかどうか
など人によっては可能かどうか
色々と心情を思うと通り一遍にはいかないものとは思うのです

大切なのは
こうしたお話ができる環境を作っておくことなんだろうなと
思います


話すことで大体なんとかなるのかもしれません
ちょっと打ち明け話ができる環境があるといいんでしょうね。。

なかなかそういう関係にはなれないことも多いけれど
全く心底心を通わすことができていない関係
たまたまぽつっと話すとか
たまたま居合わせたとか
たまたま出会ったとか
あ、みんな同じか
w

そんなことの繰り返しがあるといいんでしょうね。。。


毎日そんなことを思いながら
答え合わせしてます


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