「読書記録 「夫婦の一日」「影に対して」/遠藤周作」

遠藤周作、彼の本を読むことで、死との距離に気づかされる感覚がある。
「老いて死を間近に感じたとき、不安から救ってくれるものは何か」
背表紙のこの言葉。
老いずとも、死との距離はずっと変わらないのに、まるで徐々に近づくように錯覚してしまうのは何故なのだろうか。
老いずとも、多く人を弔おうとも、私いつだって自身と死との距離は一定だ。気づかなくとも、目をそらしたとしても、変わることなく隣にある。
私も、彼も、あの人もこの人も、皆やがて骨となる。

『老いとは残酷なほど醜いことだ』

偽の自分とか、偽りの自分とか、本当の自分とか、その狭間に立ち、両方から引っ張られてまるで身が引き裂かれるような感覚に陥ることがある。
一貫性を持つことがどれほどに難しいことか。
もっともっと複雑で、矛盾を孕み、両義的なものなのだと思う。

綺麗事として片付けられない、己の中の決して拭い去ることのできない穢れ(けがれ)、悪、意地悪で狡い思考。そういうものに自覚的になれる。
どうしようもない欲望が己の中に疼いていると、一つ俯瞰の視点を持てるようになる。それは、恥ずかしいことではないということ。それらと上手く折り合っていくことなのだ。

私は自分と同じ血を半分宿した存在が生きるということの苦痛を味わっている姿を近くで見ることが本当に怖く、想像するだけであまりにも苦しいからだ。

「一週に一度、この仕事場に老妻がきて掃除をする。その日は私は仕事場に一人いる時とは違う顔をする。いや、その言い方は正しくない。正確には家庭での私に戻ると言った方が正しい。なぜなら、そこには何の無理も芝居も偽善もないからだ。」

自分は違う。外れている。ズレている。
はたまた特別なものなのだ、だなんて思ってしまうけれど、それはとても浅はかなモノなのかもしれないと思う。

「影に対して」またしても印象的な本だった。

一貫して描かれている「母」の姿に自分の生き方、自分の性分が重なる部分を見つけてしまってとても複雑な気持ちになってしまう。
主人公のジレンマのようなものもわかるし、「女」としてこの先もまた違うステージでこの本を開きたいと思う。

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