フネという働き方

久しぶりにサザエさんを見た。かつては、共感性羞恥を強く感じてしまうため、アニメサザエさんはあまり好きではなかった。それを克服してサザエさんを見ることができるようになったのは、つい最近の話だ。

磯野家のような拡大家族は今どき珍しい家族だと思う。昔の家庭にジェンダーやら女性の社会進出なんかを当てはめて考えることは不躾だ。

しかし、今はあえてフネという女性の働き方について考えてみたいと思う。

昨晩印象的だったのは、こんなエピソードだ。

波平がフネに渡すつもりで大きな花束を購入した。花束は手違いでフネに渡せずにいたが、波平のポケットに花びらが入っていた。波平は照れ隠しに嘘を吐いたが、後日ノリスケが、波平が花束を買っていたことをフネに話してしまう。そこでフネと波平が喧嘩してしまうという話だ。

熟年夫婦のなんとも可愛らしい夫婦喧嘩だ。そもそも波平が花束を購入したのも、フネへの日々の感謝の気持ちからだ。

しかし、喧嘩してからはワカメを介して会話をする。その会話で、波平から「夕刊はどこだ」という質問があった。

波平は喧嘩をしているのにも関わらず、夕刊を持ってくるようにフネに頼むのだ。

大抵の人間は、新聞を持ってくるようになんて喧嘩相手に頼まない。それくらい自分でする。波平は、それができないのだ。

フネと波平は完全分業制なのだ。波平が会社に行き家計を支え、フネが家の一切を任されている。フネと波平は、完璧に分業をしているパートナーなのだ。

では、子育てについてはどうか。

家事の一切をフネが行うとして、子育ても波平は行っていないのかというと、そんなことはない。波平には立派な役割がある。叱ることだ。

フネのセリフにこんなものがある。

「お父さんに叱ってもらわないと。」

フネは波平のようには叱ることができないのだ。子どもたちに悪いことは悪いと教え叱る波平、優しく諭すフネ。子育ても完全に分業しているのだ。

フネと波平は、どちらか片方でも欠けてしまえば成り立たない。そんな完全な分業をし、互いにリスペクトして生活している。

関係のないことだが、最近では、配偶者が突然倒れたり働けなくなることを想定して生活する夫婦も多い。共働きの理由ではない。子どもを持つことや、高い買い物をするときに想定するのだ。そのために夫婦で分業はしないという選択をする。

選択の連続である人生において、常に最悪の状態を想定する必要はあるのだろうか。私は、余裕のない生活が、未来への不安を生んでいると思う。サザエさんの時代と比べ、余裕のない現代の生活が、不安を煽っているのだと思う。

会社は大きくなればなるほど分業していく。その方が効率的だからだ。では家庭ではどうか。最悪を想定した不安から、家庭は規模縮小への坂道を転げ落ちているのではないか。

家庭とはどうあるべきなのか、時代によって変化する家庭は、何が正解なのか。わからないままサザエさんを見て、わからないまま死んでいく。

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