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ボボボーボ・ボーボボを許さない。

呪術廻戦を一気読みした。
正直に言って、誰がどういう意思を持って誰と敵対しているのか、また戦闘において何が起こっているのか、前半は何とか食らいついていたものの、後半(特に死滅回游からは顕著に)は何が何だかと言って良いほどワカランかった。脹相が急に寝返って東堂みたいな妄想を抱き始めた理由もワカランし東京が人が入れない程の危機的状況なのにお家問題で揉めてる呪術師界隈の感じワカランと思ったら真希禪院家を滅ぼして味方(呪術師)同士で殺し合いってワカランワカランと気付いたら五条さんが死んでいた
呪術廻戦の術式は効果内容を敵に開示すると強くなるなど念能力制約と誓約のようでH×Hっぽい。だから脹相の裏切りキメラアントのコアラが裏切った時のようなモンかと解釈して乗り切った。H×Hも呪術廻戦かそれ以上ぐらいに複雑ではあるけれども、こちらはコミックスで何度も読み返しているから完璧に内容は把握している。やはりジャンプ+の無料開放一気読みしただけでは全然細かいところまで理解が追いつかない。それでも面白く読めちゃうから凄い。
作品のトーン的な部分でH×Hを強く感じたけど、その一方でボーボボの影も随所に感じる。髙羽がとにかくボーボボすぎる。最後のコマを死守する田楽マンムーブ、27巻表紙のポーズ羂索と戦っている話のタイトルが全部バカサバイバーの歌詞だし。能力もギャグ漫画の住人がバトル漫画に紛れ込んだみたいで、作者が呪術廻戦という自分の作品を通じてボーボボ愛を描いているようにしか見えなかった。作品の最終局面が近いタイミングで何故そんなことするのかはこれまたワカランのだけども。

近年、Mステにボーボボが出たり、ボーボボのアニメがNetflixで全話観られるようになったり、ボーボボが舞台化されたりと、ちょこちょこボーボボがメディアで話題になるのがボーボボ直撃世代としては何とも嬉しい。しかしボーボボ最高!とSNSが沸き立っているのを見るたびに、どことなく心に影が刺す自分がいる。

Wikipediaを見るとボボボーボ・ボーボボのキャッチフレーズは「不条理ギャグバトル漫画」とある。これは間違いない。特に初期の頃は不条理ギャグの側面が強かった。
独裁的なマルハーゲ帝国率いる毛刈り隊が横暴を働くのに対し救世主として鼻毛真拳伝承者ボボボーボ・ボーボボが立ち上がる、というのがボーボボのあらすじだ。シンプルなバトル漫画のプロット(というかまんま『北斗の拳』)である。バトル漫画の定石に従いながら、ボーボボ達は不条理ギャグを繰り出す。
何故そんなことをするのかと言ったらボーボボ達はハジけているからだ。ハジけるというのは乱暴に言うと何の意味もなく異常行動を取ることである。ボーボボの世界ではハジけた行動を取る者をハジケリストと呼ぶ。そして彼らはどちらがよりハジけているか競い合う性質を持つ。何の意味もないからこそ、浪漫や矜持があるのかも知れない。
通常、第1巻のコミックタイトルは第1話のタイトルをそのまま使うことが多いが、『ボボボーボ・ボーボボ』第1巻のコミックタイトルは第3話の「ハジけ祭り」だ。ハジけるのがこの漫画において如何に重要なファクターかということがわかる。
ハジケリストであるボーボボは戦闘中もハジけた行動を繰り返す。それに気を取られてペースが崩れた敵に鼻毛を叩き込むのがボーボボの戦闘スタイルだ。この戦い方は『すごいよ!マサルさん』セクシーコマンドーに通ずるところがある。セクシーコマンドーは相手の隙を無理やり引き出す予備動作を技まで昇華した格闘技だ。同様にハジけた無意味な行動によってボーボボはバトルを展開する。バトル漫画の構成を不条理ギャグの文法で押し進めるのが『ボボボーボ・ボーボボ』という作品である。
あくまでバトル漫画の体裁を取っているため主要キャラ達もそれにちなんだポジションで振る舞う。中期以降はすっかりツッコミとして振る舞うビュティだが、初期は非戦闘員としての旅の連れ合い、守るべきヒロイン役として機能していた。すなわちツッコミではなく、リアクション役であった。それもそのはずでハジけた行動は読者からしてみればギャグに見えるが、本来は笑わせるという意思すら無い全く無意味で不条理な行動なのである。ツッコミよりもただのヒロインとしてのリアクションの方が不条理さが際立つ
このように初期のメンバーの立ち位置は不条理さを際立たせるように配されていた。首領パッチところ天の助はメインの戦闘員メンバーとしてボーボボと同じくハジける役だとして、ヘッポコ丸ソフトンの立ち位置が絶妙だ。ヘッポコ丸はビュティと同じく常識人のように見えるがボーボボや首領パッチを強者として尊敬しているほか、何よりオナラ真拳の使い手なのである。どんなに真面目なことを言っていてもオナラで戦う狂った奴なのである。ソフトンも同様だ。ピンチの時だけ助けてくれる敵か味方か分からない神秘的な役として現れるが顔がウンコなのである。ただひたすらに格好いいバビロン真拳の使い手だが、クールに振る舞えば振る舞う程ウンコが際立つ
私は前期ボーボボが一番好きだ。
第1話の回想でボーボボとお父さんと毛刈り隊が入れ替わっちゃうくだり。Aブロック基地突入前の割り箸畑に来るフデ箱のくだり。シンプルで強固なバトル漫画の構成は中身をどんなに不条理な展開にしても心地よく進んでいく。前期ボーボボはしっかりとバトル漫画しながら不条理に物語は進んでいく。バトル漫画で中身は不条理だから「バトル不条理漫画」と形容できる。1話で旅の連れ合いヒロインを獲得した主人公は、生涯のライバルと言える相棒と出会い、数日付きまとっていた謎の少年から助けを求められ、シリアスな強敵と静かに友情を結び、実力者の敵は更に強大な敵が現れた時に仲間となる。前期ボーボボ軍艦編で最高潮の盛り上がりを見せる。ヒロインは人形に変えられて連れ去られ、敵に対抗するためにかつてのライバル達に声をかけ、それでも勝てないと判断して特殊空間で修行する。せっかく人間に戻ったビュティをノリでまた人形にしたり、5vs5の団体戦で毎回勝っているのに待機場所に戻ってくる度に何故かボロボロに負けたことになっていたり、4連勝で調子に乗った軍艦が無礼講で自分の基地を墜落させたり不条理のキレも最高潮甘えるなー!!の一言でトドメを刺すラストは非常に美しかった

私がボーボボが前期から中期に移行していくと考えるのは軍艦編が終わってからである。
ボーボボは「不条理ギャグバトル漫画」であるが、前期の頃は厳密にはボーボボ達はギャグを自ら放ってはいない。ただハジけているだけだ。(だからこそ、私は前期のボーボボを「バトル不条理漫画」と形容したい)バトルにおいて本来は不適切なハジケ行為(全く無意味な異常行動)をやることがハジケリストの矜持としても叶っているし、それが結果的に敵を倒すことに繋がっている。不条理合理的な結果を偶然呼び寄せている捩れのカタルシスがとにかく魅力だった。
それが軍艦編が終わってからは変化していく。変化のキッカケ、それを象徴的に表すキャラがいる。破天荒だ。
マルハーゲ四天王である軍艦を倒したボーボボ達を次の刺客として同じく四天王のプルプーが襲ってくる。あんなに倒すのに苦労した軍艦と同格のプルプーを破天荒は謎のカギ真拳という技で一人で倒してしまう。破天荒は見た目もシュッとしていて分かりやすくイケメンキャラだ。
それまで鼻毛真拳・オナラ真拳・プルプル真拳・バビロン真拳など真拳の要素はあったが、鼻毛真拳は鼻毛で戦う、プルプル真拳はところ天でプルプルしている、オナラは一見クールなヘッポコ丸とのギャップ、バビロン真拳はウンコとのギャップ、というそれぞれのキャラ付けのためだけに存在しており、ほぼ中身は無かった。しかし、カギ真拳はカギを差してLOCKした相手の動きを止めるなど、露骨にバトル漫画に出せそうな能力である。カギカギの実とかONE PIECEに出てきてもおかしくないし、ヒロアカにまんまロックロックというヒーローもいる。
破天荒が出てきたことによって真拳はH×Hでいう念能力のようなバトル漫画の特殊能力と化していくのである。真拳使いは念能力者のように扱われバトル漫画っぽさが増していく
また、破天荒は首領パッチの弟子としてハジケリストのような振る舞いをする。ただ、このハジケが私にはどうにも面白くない
ハジケとは異常行動をすることだが、そこには全く意味が付随してはならない。それこそがハジケリストの矜持であるが、破天荒は上記のように普段はバトル漫画に普通に出てもおかしくないようなクールなイケメンキャラとして振る舞う。彼がハジケた行動を取る時は首領パッチといる時だけで、ハジけたいからハジけてるというより、首領パッチに気に入られたいからハジけてるという風に見える。それはハジケというより、アイドルがバラエティ番組に出た時に丁度いいおふざけをしているようで、別に笑っても良いのだけど何となく薄寒いものを感じてしまう。
目的があってハジケるのではなく習性としてハジケてしまうのがハジケリストである。ハジケには意味があってはならない。しかし、破天荒の登場によって目的をもって行われるおふざけハジケの範疇とされるようになってしまった。そしてここから意思を持ってふざけるような描写がボーボボ達にも増えていく。
敵が真拳使いとして本当に強いためにボーボボ達の普通の攻撃では通用しない。そこで対抗手段としてギャグを用いるようになっていく。敵の強大な攻撃に対してギャグで受け流したり無かったことにするのである。そうして前期ではバトルの合間に不条理な行動をしていたのが、中期以降だとギャグそのものが攻撃に変化していく
場の空気を転じようという意思を持ってふざけているので、これはハジケというよりボケである。この辺りからビュティもツッコミを積極的に行うようになっていく。前期では眼前で起こる不条理な出来事にビュティはリアクションしているだけで良かった。だが、中期からはビュティがツッコミを行わないとボーボボ達の行動がボケとして成立しない=攻撃が成功しないということになってしまうからである。
ボーボボ達の攻撃手段がギャグとなり、またそれがボケようという明確な意思の元行われてることが分かるのは魚雷ガールと対峙した時である。魚雷ガールはボケ殺しという種族の生き残りでボケの気配を感じた瞬間にそれを封じるように攻撃してくる。彼女と戦っている時、ボーボボ達は戦う手段を封じられてしまっていた。だが、本来のハジケリストであればボケ殺しが目の前にいても普通にハジケることが可能なはずである。何故ならハジケにはボケようという意思は何もないから。だが聖鼻毛領域(ボーボボワールド)という究極奥義をわざわざ発動させなければボケる=攻撃することも出来ないぐらい、この頃のボーボボにはふざけることに理由が必要になっていた。

私は前期のボーボボを「バトル不条理漫画」と形容した。本来のボーボボのキャッチコピーは「不条理ギャグバトル漫画」である。だが中期のボーボボはギャグで戦うバトル漫画ではあるが、そこに不条理さは全くないので「不条理ギャグバトル漫画」ではない。私は中期のボーボボは「バトルパロディ漫画」だと形容したい。中期のボーボボがやっていることはバトル漫画のパロディだった
要は本気で戦うことも本気でハジケることもないのである。前期のボーボボは本気のバトルの中で本気に無意味な行動を繰り返していた。中期のボーボボはまともに戦っても勝てない相手に何とかしてダメージを与える為にボケていた。そのボケもツッコミとセットである。ツッコミありきのボケは予定調和とも言える。これはあくまでわざとですよ、という安全安心なボケだ。その点、完全に不条理な行動は時に狂気とも取れる危険なモノだ。前者はお約束であり気楽に笑えるが、後者の笑いは決まった時のキレが違う。真拳使いの台頭でバトル漫画っぽさに拍車はかかったが、狂気としての笑いはマイルドになったのが中期のボーボボである。中期のボーボボは破天荒が登場してから第1部が終わるまで続いていくので、ある意味ボーボボのメインの時期とも言える。安全安心な笑いになったからこそ広く受け入れられるようになったのかも知れない。
思えば、破天荒の登場の仕方などセル編のトランクスそのもの(プルプーフリーザ第1形態みたいな乗り物に乗ってるし)なので、この時点でパロディ化は始まっていた。「バトルパロディ漫画」となったからこそ、頭からガチの遊戯が飛び出してきたり、DEATH NOTEの作者とお互いの話を交換して描き合ったり、ドラゴンボールを1話丸々描いたりといったコラボ企画が出来たのだとも思う。これらを見た時は本当に衝撃的で面白かった。
ただ、全く意味のない無駄な不条理さがなくなり、バトル漫画としての複雑さ因果関係が増えていくことで、前期のボーボボが生み出したキレのある笑いはどんどん失われていった。その最たるものがソフトンの正体が明かされたことだ。ソフトンは実はビュティの兄(イケメン)ウンコ頭は呪いによるものだった、ということが明示された時のガッカリ感と言ったらない。はっきり言ってソフトンがビュティの兄貴だということは読者のほとんどが分かっていたことで、その正体が判明しても驚きも何もないし、何より本当はウンコ頭ではなかったという事実のせいでソフトンというキャラの旨味は全て消失した。作中の誰よりもクールでカッコいいのに顔がウンコという凄まじいキャラだったのに、この時ソフトンは死んだのである。ソフトンほど分かりやすくはないが、ボーボボのハジケが意味のあるボケにいつの間にか変化していったことも、じわじわと何かが死んでいく気配を漂わせていた。
しかし形としては中期前期と変わらず「不条理ギャグバトル漫画」の体裁は保っていたので、最初の頃とはなんか違うなというものを感じつつも、第1部の最後20巻まで私は読み終えた。

ボーボボの後期第2部である。
『ボボボーボ・ボーボボ』連載開始は2001年で、その年に私はちょうど中学生になった。私の青春時代の傍らには常にボーボボが並走していた前期ボーボボに衝撃を受けた私は夢中になり、中期に入って何か感じが変わったなと思いつつも、そのまま楽しく読んではいた。ただ最初の頃のような激しい不条理さがないことに少しの不満を覚えていた。
その頃のジャンプは第2部ブームであった。当時、DEATH NOTEがめちゃくちゃ盛り上がっている頃で、夜神月が最大のライバルLを殺したところで第1部が終わり、数週間に渡ってこの後どうなるのか特集を組んで散々煽った後、第2部をスタートさせていた。この方法が気に入ったのか、その後、ONE PIECENARUTOトリコなど人気作にこの第2部システムが取り入れられていく。その流れでボーボボ第1部が終わって小休止に入り第2部に備えての特集が組まれた。
冷静に考えれば変な話である。この第2部システムが活きるのはストーリー漫画に限ってのことである。第1部で張られた伏線がいかに展開していくのか、それを振り返る為に特集を組まれるのである。どれだけ真拳使いとの戦い方が複雑化していてバトル漫画っぽさは増していたとしても、ボーボボはギャグ漫画だ。ギャグ漫画に伏線もクソもない。ただ、ツルリーナ4世、復活したツルリーナ3世バババーバ・バーババ第1部からの強敵として残っているのは確かで、それらを前フリとしてどんな風にふざけてくれるのか、という点ではとても期待していた。
だが、第2部が始まってすぐに違和感を覚えた。全然ふざけないのである。いやまあ、中期のようなボケはかましていくのだがストーリーが妙にシリアスなためギャグが入ってこない。ツルリーナ3世が復権して『北斗の拳』的な雰囲気がリアルな意味で強まっていて、ボーボボ達は何故ふざけているのだろう?という気持ちにすらなってくるのである。バトル漫画ともギャグ漫画とも取れない不思議な塩梅の漫画になっていた。バトルに対してもギャグに対しても不条理な別の意味での「不条理ギャグバトル漫画」となってしまった。作者が本気のバトル漫画を描きたいと思った結果なのかも知れないが、第2部の期待値をギャグ漫画なのに背負わされて変な方向にいってしまった第2部ブームの犠牲者だったのではないか、と今でもたまに思う。
後期のボーボボはあまりに自分の好きだったボーボボとかけ離れてしまい、途中で読むのを止めてしまった。案の定、そのまま失速して打ち切られてしまった。あまりにショックだったので、それまで集めていたコミックス全巻を手放してしまったほどだ。

もう手元にコミックスはないのだが、たまに前期のボーボボが無性に読みたくなる。だが、それと同時に中期・後期と辿っていく変遷を思って何とも言えない気持ちになり、不条理な笑いを突き詰めることの難しさを噛み締める。ボーボボがSNSで盛り上がっているのを見る時も同様の気持ちになる。『ボボボーボ・ボーボボ』は間違いなく私の青春の友であったが、それだけに何となく許せない気持ちがある。

ボーボボは人気だったのでゲーム化もされた。一番最初のソフト、ゲームボーイアドバンスで発売された『ボボボーボ・ボーボボ 奥義87.5(ハナゲー) 爆裂鼻毛真剣』は買って遊んだ。好きな漫画とはいえ個人的にゲームとのタイアップは普段だったら興味ないのだが、この時は早期予約特典「ぬのハンカチ」が貰えて、それが欲しかった為に購入した。ゲームの内容も軍艦編まで描かれていて、マヨネーズ戦争勃発!!!などの前期の必殺技を再現できる仕様になっていて楽しかった。これを中学の時にクラスメイトに貸したらそのまま借りパクされた。なので、未だに「ぬのハンカチ」は実家の壁に飾っているが二度とゲームをすることは出来ない。だから私はそのクラスメイトも許せない。マジでフシエリョウ、テメーはダメだ

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