短歌連作9首『本作の京都府民はフィクションです』プラスα


 WEBの短歌連作サークル「あみもの」に提出した『本作の京都府民はフィクションです』をこちらにも掲載します。


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 そして以下はその自主的な解説です。
 「他者の短歌がどんな考えで作られているのか知りたいので、じゃあ自分でも説明してみよう」というものと、「自作の話をするのが気持ちいい」という2種類の理由があります。


 

血走った目のお茶漬けが碁盤目を練り歩くさまを夢に見ちゃって……

 海外に行く前日に飛行機が墜ちる夢を見るやつの京都バージョンです。碁盤目やお茶漬け(ぶぶ漬け)という京都っぽい単語を、まとまった文章ではなく断片的にしか使っていないところが、京都に対する見聞の狭さを表現しているつもりです。「血走った目のお茶漬け」という単語自体もそこそこおもしろいと思っています。
 文で表現せず「……」で心配している感じを出そうとしているのは卑怯だと思います。



イチゲンサン・ラクガイ・イケズ・ニンテンドーだけ知っとけば
大丈夫だから!

 海外旅行が不安な人を元気づけるやつの京都バージョンです。「こいつもそんなに京都に詳しくないな」と読み手が思うように作りました。
 上の句の四つの単語も京都に対する断片的な知識で、同じく京都知識のとぼしさを表現しようとしています。また、最初の三つは比較的ネガティブ寄りな単語、ニンテンドーは京都旅行で使わなさそうな単語というふうに、無益さを心がけたつもりです。



サングラスをかけたお茶漬けと泣き顔の舞妓が書かれた啓発ポスター

 悪人のアイコンとして使われる真っ黒なサングラスと、京都のアイコンであるお茶漬け及び舞妓を組み合わせた何らかの意義を持つポスターの短歌です。どういう意義かはわかりません。
 ネットの不思議な話などに出てくる、『得体の知れない感覚』を出せればいいなと思っています。たぶん出せてません。
 お茶漬けを使いすぎだと思います。



ヒゲと赤い帽子をつけた芸者さんの「雑京都」という鉄板のギャグ

 マリオの雑なコスプレという、スベりうけを狙った芸をする芸者さんです。「芸者の芸ってそういうんじゃないだろ」というツッコミがほしいと思っています。



人狼をお座敷遊びに追加した舞妓が寝そべる真昼間の土手

 お座敷遊びは舞妓さんとやるのが楽しいのであって、遊びの内容は特におもしろいものじゃない(その必要がない)と思っています。そこであえて楽しいゲームをしたらどうかという、破天荒な舞妓の短歌です。真昼間の土手に寝そべることで破天荒さを際立たせようとしています。また、『舞妓』と『破天荒』を組み合わせることで異化効果が発生していると思います。
 他のテーブルゲームでなく人狼にしたのは、音数のこともありますが舞妓とのイメージの親和性が関係しています。「猜疑心」や「抜け目ない」という言葉が人狼と舞妓には共通して似合う気がします。



京都府に住んでるだけだ まだ固い鼻緒ちぎってセメントを踏む

 強い京都府民です。
 京都いじりのアンチテーゼと言いますか、京都出身なだけで別に排他的じゃない人は少数ではないはずで、古典的なイメージに対する反抗意識の短歌として作りました。実際そのようになっているかは各自で判断していただけると助かります。
 京都といえ石畳だけではなくセメントも敷かれている、イメージではない現実的な京都を結句で表現したつもりです。



シナハルの発音の違和を察知して狂徒府民にトランスフォーム

 外部の人間の擬態を見抜きそれを懲罰するため凶暴な形態にトランスフォームする、排他的の方向が極端な京都府民です。「狂徒府民」と「トランスフォーム」という、短歌においては聞きなれない単語を連続させるとおもしろいんじゃないかと思っています。
 『トランスフォーム』が含まれてる短歌っていいなとも思っています。
 シナハルとは「~しなはる」のことで、「~なさる」という意味の方言だそうです。カタカナにすることで、未知の言語で音だけがわかっているという感覚を出そうとしています。



玄関にお茶漬けを盛る野良府民除けの迷信 虫などが来る

 お茶漬けを使いすぎだと思います。
 水を入れたペットボトルを置けば野良猫が来なくなるという迷信から思いつきました。存在しない迷信を4句目までで説明して、結句で当然の帰結を見せることで現実に戻すという、ギャップを発生させる構成にしたつもりです。また、野良府民という単語がひどくておもしろいと思っています。
 最後の一首につなげるため、『京都府民』の衰退をイメージさせる短歌にしたつもりです。



本作の京都府民はフィクションです。京都府民は実在しない

 上の句で「そりゃそうだろ」と思って、下の句で「え?」となってもらえるといいなと思っていました。ともすれば差別表現になりそうな本作を、どうにかうやむやにして流させようという意識はありました。
 京都府民をいじるユーモアはありますが、賞味期限が切れかかっている(あるいは切れている)と感じます。そのユーモア自体を『京都府民』ととらえて、それはもう実在しないんだと切り捨てた、すこし寂しさを感じさせる短歌になればいいなと思って作りました。



 以上です。ありがとうございました。

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