見出し画像

ロハスもガストロノミーも。

私は夢見がちでロマンチスト、そして一方でロジカルで現実的でもある。原っぱでキイチゴを摘んでジャムを煮て暮らしたい、妖精さんと話がしたい、エコでロハスな暮らしがしたいと思っている。そして新しいIT技術を使ったアプリやサービスにワクワクし、贅を尽くし考え抜かれ、繊細な技で構成されたガストロノミーで食事をしたいとも思う。とても振れ幅が広い。

昨日気づいたのだけど、自分は理性と感性という切り口では両極端で、その極同士を自分の中で批判していた。理性モードは感性モードを「地に足がついていない。ばかじゃないの?そんなんじゃだめだ」。感性モードは理性モードを「人の気持ちってのがあるたろう、金の亡者め。そんなんじゃだめだ」と。それはきついよなあ。っていうかきつかった。そして鈍くもなるよなあ。自分で恥じているものを人前に出すことなんてできない。ずっとひた隠しにしてきたし、自分の中で打ち消すために労力を使っていた。でも消えやしない。

私は、「私が知らない面白いもの」に触れるとワクワクする。それが人生の喜びだと思う。どうやらその度合いが人より高い。同じ居酒屋じゃなくて、できれば違うお店で。どうせ会うなら、知らない場所に一緒に行ってみたい。

私は「私が知らない面白いもの」ならば何でもいいわけで、心理描写がすごくてぐっと胸にくる小説も(感性モード)、海外の新しいビジネスの話(理性モード)も好きなのだ。両極端が手をとったら、もっと色々なものが味わえたんだな。

#エッセイ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?