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つくり上げる人


そういえば7月。

7月といえば七夕。そういえば。


ふと、子供の頃の夢は?と、聞かれ、

”小説家になりたい”

と思っていたなあ

短冊に記した時期は覚えていないが、なんせ昔は夢が色々あった。
(余談だが鮮明に短冊に書いたなって覚えているのは保育所時代にポケモンの”アーボックになりたい”と書いたこと。何がそうさせたんだ。幼少期の私。)



本を読んだり、物語をつくったり、絵を描いたり、漫画を描いてみたり、、、

小さい頃、、というか、家系の血筋的に圧倒的文化系で、その方向に進むかとやんわり親や、おばあちゃん達は思っていたであろうが、中学から大学まで運動部に、体育会系の学校へ進んだ。(ノリはそこまで体育会系になれなかった笑)


この家系でここまで体育会系なの多分初めてちゃうかな
と、叔母さんに頑張ってるなぁと年始恒例の小さな親戚の集まりで言われた時には
たまに本は読んでいたが、物語をつくるというか文章も書かなくなり、絵を描くのに色は使わず、”落書き”を描くぐらい。


今でもスポーツは好きだが、なんとなく、自分の中のどこか熱を持った塊のぶつけどころが社会人になってなかなか見つけられずにいた。。気がする。


色んな経験や、趣味を持っている人に出会っては影響されかけてはなんだかなぁとうろうろしては引き返し、立ち止まり、

してみたい!にお金を払って習い事として飛びつくも
結果続かない、、、


いい経験  だったと思う反面、なんでできないんだろう、、なんなんだろうとモヤっとしていた。


そんな状態でも、自分の中で崩れても薪を組みなおしてみては火が灯される、、なんなら燃える何かが欲しい。と思っていた。



何かをつくりたい



ここ数年でまた?新たに?芽生えた感情を少しづつ形にできたらとうろうろ方向音痴して諦めてた頃に、なんとなく『ここじゃない?』と道が見えてきたかな??

と思う。


変に完璧を
ベストを目指そうとしてしまうから、きっとせっかくついた火も風を送りすぎて消えっちゃったんかな。ってちょっと思う。


ベターを目指す というより

なんか変でも、その時の”きょこ”をとりあえず置いとけばいい。
なんなら、そんな自分もニタニタしながら愛せるようになりたい。
(↑今この文書いててなんかくっさ、すごい恥ずいわってなっとる。なっとるぞ。見返してるあんたは無事か。ニタニタしとるか。おい。)


世の さまざまな

つくり上げる人

に憧れを抱きながら

とりあえず私なりの段階で

つくってみる

をやってみる人。になろう。

とnoteで自己満表現をする今日この頃である。


てげてげにいこよ。

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