眞空流古武術(中級)稽古会に行ってきました!
昨夜は眞空流古武術(中級)稽古会に行ってきました。
稽古場では、身体で感じて身体で表現しあえるコミュニケーションが心地いいなと思います。エネルギーが通い合うんですよね🌟
言葉があんまいらない。
ところが、社会ではそうはいかないだろう・・・と思われるかもしれません。でも、そういう関わり方っていつでもあるんですよね。ハートを開いて魂と魂で通い合う関係を育めるように、「感じる」「心で観る」。
自分の「在り方」をクリーンな状態で準備しておくことで、それは可能になります。
・あるがままを感じて、流していく。
・違和感は自分の内側のそれをキャッチした部分を解放していく。
循環するエネルギーを味わう。そんなコミュニケーションになりますw
自分が緩まり開いていれば、相手もそうなる。そうでなかったとしても、「ただそうである」だけで過ぎていき、もし、わだかまりが自分の中に生じたならば、それは、自分を見つめるチャンスとなります。
「自分とは違う他者」という認識が、自分の枠を広げてくれます。
これが、古武術の技の稽古をしているとよく観えるんですよね🌟
なんていうのかな。稽古を積み重ねる度に、相手をどうこうしよう!とか、わかってもらいたい!とか、そういうのがことごとくなくなっていっているように思います。
これは、実生活でもそうなってきました。
自然に循環が起きるから、その瞬間が楽しくて、ありがたくて、愛おしい。
古武術の稽古に集中していると、そんな時間を過ごすことができるんです。
今って自分を閉じることが当たり前になりすぎている傾向って、ありますよね。だからこそ、社会ではコミュニケーション能力の重要性を求められたり、一方でSNSでのバーチャルなつながりが多いのかもしれません。
自らを閉じれば閉じるほど、他者との違い『分離』は増していきます。そうすると、相手とも自分とも繋がらないし、古武術の技も難しくなりすぎて、かからないなって思います。
分離の状態って、やっぱり人間関係を築く中で「怖さ」がつきまといます。怖いままで、相手と向き合うことってできない。
だからどうするか。
頭で喋る。客観的にあたかもそれらしいことを、当たり障りないように、綺麗な言葉で飾ったりする。
もしくは、相手の期待通りの自分を演じたりします。自分を下げて、相手を持ち上げたり。媚びるというのかな。
そういうこと、散々やってきたけど、疲れてしまうんですよね。病気になるし。
人生が滞ってくる。
だから、どんな環境にいても、自分の在り方がクリーンな状態でいる訓練のように、私は古武術を活用しています。そして技を磨くことで、ほんのちょっとの意識のズレを見つけ出すんです。「最大限に力なく技をかける点」を見つけることが、たまらなく楽しいのです。
自分の中の、マトリックス(幻想、頭で捉えている世界)を抜け出して、自分の実力・意識の使い方が通じるのか?技のかかり具合で一瞬で目が覚めて明確になってしまいます。
「どうにかしよう」「思い通りにしよう」
その時点で、ゴングがなります。
地に足をつけて、どこまでも自由に人間関係も育んでいきたい🌟
愛と調和の世界を古武術を通して、学んでいます。
🌟眞空流古武術↓🌟
8月23日は東京町田で【<眞空流古武術>女子初級稽古会】
8月30日は東京町田で【<眞空流古武術>女子初級稽古会】
8月31日はsorafolによる【古武術体験会】