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【小説】想像もしていなかった未来のあなたと出会うために vol.59

★入院★

 尚美の母、志田芳子が脳梗塞で倒れ入院した。
 慌てて病院に行ってみると、妹の聡美が付き添っていた。病室で芳子は、穏やかな顔をしてベッドに座っていた。
「倒れた、と聞いて、びっくりして飛んできたのよ」
2人の顔を見た途端、疎遠にしていた後ろめたさや、そのために用意していた言葉など吹っ飛んだ。
「お母さん、思ったより元気そうでホッとしちゃった」
芳子も聡美も、慌てたような尚美の言葉に苦笑いを浮かべる。
「倒れた、って言っても、腰が抜けたようになって座り込んでいたんだよ。ちょうどタイミングよく聡美が来てくれたんだ」
芳子の話を聡美が引きつぐ。
「・・・虫の知らせ、っていうのかな。そんなに頻繁に行ってるわけじゃないけど、昨日母さんのとこに行ったら、玄関で座り込んでいる母さんを見つけて、なんか立てないでいるのよ。母さんったら、大丈夫、大丈夫、って言ってたんだけどね。・・・高齢者のちょっとしたつまずきも、何が隠れているかわからないから、病院で診てもらわないといけないんですよ、って聞かされたばかりだったから。・・・大げさかもしれないけど、救急車を呼んで病院に行ったのよ。そしたらさ、脳梗塞だって言うじゃない、もう、肝を冷やしたわよ」
「・・・そうだったのね。私だって、脳梗塞っていうから、・・・てっきり寝たきりかと思っちゃったわ」
「でも、他にも病気が隠れているかもしれないからって、しばらくは検査漬けになるそうよ」
聡美は言う。
「とにかく、大変だったわね。・・・聡美、ありがとう」
「そうなのよ。・・・病人の母さんは、担架で運ばれて、その後寝た状態だったかもしれないけど。・・・付き添いの私は、救急車で病院に来て、お昼ご飯も食べられなければ、身動きも取れないで、ホント大変だったわ。昨日なんて、おなかペコペコで、へとへとになって帰ったの、夜の8時過ぎよ。朝からの騒動だったのに」
「ご苦労様」
尚美は手を合わせる。
「今後のことは、要相談ね」
笑いながら、にらみをきかす聡美に、尚美は何回も首を縦に振る。
「尚美も来たことだし、今日は早めに、そしてゆっくりと、お昼を食べにいこう。母さんも落ち着いたみたいだしね」
「えっ? でも、私まだ、お母さんとゆっくり話してないよ?」
「・・・そうだけど。・・・また後で来るでしょ?」
聡美は半ば強引に尚美を連れ出した。

 近くの食堂で聡美とお昼を共にしながら、芳子の病状について聞いた。脳梗塞は発症部位が良かったのか、運動機能にはさほど問題がなさそうだが、ずいぶん前から心臓が弱っているらしい。けして安穏とは言えない状況だと聡美は言った。
「お母さんのところに近いからって、聡美に任せっきりにして、申し訳ないな、とは思っていたのよ」
すまなさそうに話す尚美に、聡美は明るく言った。
「今まではお母さんも1人で何でもできたし、ウチの子どもたちを見てもらったりしてたから、助かってたのよ。・・・母さんの性格だから、父さんが亡くなって1人になったら、私のウチのことまで口を出したり、うるさいのかな、って心配したんだけど。そうでもなくって、・・・1人を楽しんでいたみたいよ」
「・・・そうなの?」
尚美は自分の知らない母の話をされているような気がした。
「実はね。今だから言うんだけどね。・・・尚美が東京に行っちゃって、疎遠を決め込んだ時は、かなりショックでふさぎ込んだり、私に当たったり、大変だったのよ。・・・でも、どこかで、そこから学んだみたいなのよ。子どものことばかりに捉われていないで、自分の思う通りに生きよう、って」
「えっ?」
「それからしばらくして、和裁とか習いに行ったり、自分磨きをするようになったんだから」
「あのお母さんが?」
そんな時代だったと思うのだが、尚美にとって母は『教育ママゴン』というモンスターのような存在だった。立ち向かっても、倒したつもりになっても、すぐに復活し目の前を立ちふさがれる。自分の人生など考える暇さえ与えられなかった。とにかく逃れなければ、自分はどうにかなってしまう、と思うのだった。なので、高校を卒業したタイミングで、一人暮らしを始めたのだ。
「1歳しか違わないのに、妹だってだけで、扱い違ったものね。・・・私が見てたって、尚美、息が詰まるだろうな、って、思ってたよ。だから、あの時東京に行っちゃったのは、大正解だったんだね」
「・・・聡美に振り替わったりしなかったの?」
「まったくなかったわけじゃないけど。・・・でも、その前に気が付いたみたいだよ」
聡美は穏やかに笑った。

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