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【小説】想像もしていなかった未来のあなたと出会うために vol.71

★再出発★

 みくは、紗百合とのセッションの時、屋上に連れていかれて、そこから見える風景を口に出して言っていた。途中今の気持ちを聞かれたとたん、何と答えていいのかわからず、固まってしまった。
 自分の気持ちなど、改めて考えたことがなかったのだ。
 ずいぶん長い時間をかけて、ようやくみくは言った。
「不安です」
「OK。・・・わかりました。・・・では、今度は反対側を見てみましょう。何が見えますか?」
「・・・ビルです」

 紗百合のカウンセリングルームは都心のビルに構えていた。駅からは少し離れていたが、ビルの屋上に上がれば、戸建ての住宅は見えず、近くや遠くのビルばかりが見に入ってくる。形や色こそ多少違うが、それをなんと表現すれば良いのかわからず、みくは言葉に詰まった。
「見えるものをどんどん口に出して言ってみて。・・・動いても構わないのよ」
「背の高さや、色の違いはあるけど、ビルしか目に入ってこなくて・・・」
みくはそう言いながら、建物の下の方を見ようと、壁際に近づいた。
「戸建ての家も見えました。庭には木が生えていて。緑に茂っています」
「それから?」
しかし、それ以上続かない。下の方をのぞき込んでも、近隣の家が見えるだけだ。みくは諦めて、目線を上げる。
「遠くのビルの、ベランダが見えました。・・・もっと遠くでは、ビルの工事をしている。大型の重機が見えます」
「OK。・・・じゃあ、今はどんな気持ち?」
「えっ?・・・そうですね。なんだかしんどいかも」
「そう? 続けられないくらい?」
「・・・それは、・・・大丈夫です」
本当はやめたかった。でも、体調を崩して続けるのが困難になれば別だが、やりたくないという理由でワークを途中で投げ出すのは、NGだ。
「じゃあ、続けましょう。・・・他には何が見えますか?」
「・・・あっ! 飛行機です。旅客機が飛んでいきます」
みくはそう言うと、しばらく飛行機を目で追い、見えなくなるまで見つめ続けていた。
「・・・次は、音もプラスしましょう。気が付く音があったら、言って下さい」
「先程の飛行機の音は、すごく大きな音で、それで飛行機にも気が付いたんですけど。・・・車の音は、そんなには気にならないんですね。・・・いや、・・・今、クラクションの音が聞こえましたね」
目で見るのとは違い、聞こえる音は気を付けていないと、何の音だろうと思っている間に消えてなくなってしまう。
「・・・空が、先程とは違って、雲が厚くなってきたようです。・・・遠くに、電車の音が聞こえます。・・・もしかして、雲が立ち込めたから、音が鮮明に聞こえてきたのかな」
目で見る風景と音とが連動していることに気が付いて、みくはワークが少しだけおもしろくなった。
「遠くの雲は、グレーがかってきています。・・・雨雲なのかな」
「いいですね。・・・今はどんな気分?」
「・・・少し面白くなってきました」
紗百合はみくの言葉に、にこやかにほほ笑む。
「風が変わってきたような感じです。強くなっているような気がします」
「・・・風を感じたのね。・・・素晴らしい。・・・匂いは感じますか?」
「・・・匂いは感じないけど。・・・あっ、今鳥のさえずりが聞こえたけど。どこに居るのかしら」
みくは鳴き声の鳥を探そうとする。
「良く見ると、あそこ、こんもりと緑の森になってるけど。公園でもあるのかしら。・・・鳥は、木のところにいるのかしら」

 紗百合に促されなくても、みくは風景を切り取り、言葉を繋ぎ始め、いつしか夢中になっていった。
「とってもいい感じね? みくちゃん、今、どんな気持ちですか」
「すごく、フラットな気持ちです。・・・実は、さっきまで、気が進まなくて、やらされている感ばかりを抱いて、気分が悪かったんです。でも、なんか、コツをつかんだというか、こういうことなのかな、ってわかった気がして、楽しくなってきました」
「・・・良かったわ」
みくはまだ何かないかと、見回している。
「他に、何か気が付いたことはありますか?」
紗百合の質問にようやく周りを見るのをやめ、みくは自分と向き合った。
「・・・私、・・・自分がマイナスの感情を持った時、それをきちんと見ようとしていなかった気がします。・・・例えば、嫌だな、と思っても、それを口に出して言うのはいけないことのような気がして、そういう感情を持った言い訳をしていたみたいです」
みくは正直な気持ちを口にしてみたが、それでも繕っている自分を感じていた。

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