見出し画像

【ちょっといい話】

ニセコに好印象を人は多い。
私もかつてはその一人だった。異う意味で。

日本でありながら英語圏。

バブルで湧いてて、お金がザクザク儲かって、物はべらぼうに高いけど、そんなこと気にせず、気前良く払う人が集う街。

もしかしたら、自分にも小さなチャンスが見つからないかな?
そしたら、それで得られたお金を、色々な良いことに使えるのにな。
そんな小さな期待を持って、初めてこの街を訪れたのが10年前。

元手があって、自分で不動産経営をするか、インストラクターかガイドになれば、稼げるかもしれない。
だけど、元手もなく、強靭なスキルがなければ、できることは限られる。
しかも、稼げる時期は、年のうち、4ヶ月弱。

昨冬、宿泊料の他、キッチンカーのメニューの料金が高いと、メディアが面白おかしく報じていたけれど、そもそもの出展料(駐車代)が高くて、土地の持ち主が外国人であることは、あまり知られてないように思う。

庶民はどこに行っても庶民だから、会社員として働く。
が、お世辞にも、部がいいとは思えないことが度々ある。

なぜなら、自分はマイノリティだから。

例えば、同僚の多くがアジア人で、仮に彼らが、「安い労働力として雇われたアジア系」であったとしよう。

そうすれば、一般的な(と言えども決して高くない)給料を受け取る日本人に対する風当たりは、当然きつくなる。

中には英語も日本語もどちらも微妙で、コミュニケーションで、困ることも当然あるし、対応が悪いと、お叱りの電話を受けることもある。
(昨今、コールセンターや、観光案内所で、片言の日本語で対応するアジア人も増えたので、理解してもらえる人もいるかもしれない。)
 
そんな、お世辞にも、決して居心地が良いと言えない状況下で、それでも、もう少しだけ、と粘る自分がいるのは、時に、素敵な出会いがあるから。

この街には、移住者が多い。

この街の、美しい自然に魅了されて、移り住むのだ。

彼らは、自然(パスダースノー)を通じ、巡り合った仲間と、目には見えない、強い絆で繋がっている。だから、深い雪に囲まれた厳しい環境での中でも、強くたくましく生きている。

ウィンタースポーツをしない私は、そのエッセンスを、たまにお裾分けしてもらうだけだが、そんな中でも、特にリスペクトするのが、ソウル・サーファーならぬ、ソウル・スノーボーダー。

一冬のリフトパス(14万円もする)を購入できない、あるいはそんな高額を企業に“献金”したくない彼らは、地元の人たちに、「蝦夷富士」の名で親しまれている羊蹄山のピークを、自らの足で目指す。
 
羊蹄山は標高1,898mで、8号目を過ぎると森林限界。
 
夏場に、往復10時間掛けて登る山を、彼らは背中にボードを背負って、夜中に出発し、腰まで雪に埋もれながら、4時間以上かけて登る。

もちろんそんなことが許されるのは、経験と実力のあるエキスパートだけだ。

最低限の食糧、携帯で、山頂に近くになると、遮るものがなく、時には飛ばされんばかりの強風の中、ようやくピークに達した後は、一気に、滑り降りるのだそうだ。
 
滑り出しは、風で硬く凍ったガリガリの雪が、徐々にソフトになり、しばらくは、極上のパウダースノーが続く。

それが、だんだん重めの雪に変わり、仕上げはシャーベット(4月下旬)。

その光景を想像しながら、聞いているこちらが、驚き・ワクワクと共に、うっとりしてしまう。しかも、その速度たるや、時速80キロだそうで、いったい、どんな表情で滑っているのだろう?と、いつも訊こうと思って、忘れてしまう。
 
ゴールデンウィークも終わった今、さすがにシーズン終了したかな、と思って聞いてみたら、答えは、「昨日行ってきた!」

そして、見せて貰ったピークの写真を前に、しばし私は、言葉が出てこなかった。

雪に覆われたその向こうに朝日が上がっている。

その、朝日を浴びて、一面の雪が、黄金色に輝いている。神々しく。

限られた人だけが見れるそのDivine Beauty。

こんな美しさの中、斜面を滑る。そこには、自我さえも消滅した、自然と同一化した無音の空間(ニルバーナ)が、存在するのではなかろうか。


「朝2時過ぎに出発して、6時過ぎに山頂に着いたんだけど、休む間もなく、一気に降りたんだよ。相方の、農家の仕事が8時からだから、やばい、遅刻しちゃう、って話になってさ。」
 
というおまけ話には、笑ってしまった。
 
色んな生き方がある。
そして色んな選択がこの世にはある。
 



やっと桜咲く。後ろには羊蹄山。


 
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?