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「応援」の残り時間(2)

順位戦が終わり次の順位戦開幕までの間、棋士の先生方にとって束の間のシーズンオフとも言える時期、今年3月中旬にwonder将棋というネット配信番組に井上九段が愛弟子・菅井八段と共に出演されました。
MBS毎日放送の森本アナ司会で番組は和やかに進行し、最後は視聴者から事前に募集していた質問にゲストが答えるコーナー。
質問の一つに「お二人は自分が10年後どうしていると思いますか?」というものがありました。
おお!質問された方グッジョブ!
私もそれ聞きたい!
そして井上九段はイベントで見せるいつもの優しい笑顔でその質問にこう答えたのです。

「10年後ですか。将棋を指してるイメージは無いですねぇ」

ん?いま何て言った?
森本アナも「え、そうなんですか?」と驚いた様子で返す。
井上九段は続けて言う。
「まあ5年後はね、将棋指してると思います。でも10年後はそのイメージないですわ。というか、不細工な将棋を指すようになったら考えんといかんかな、と思ってます」

【不細工な将棋を指すようになったら考えんといかん】
これは「自分自身が納得できないような将棋を指すようになったら自ら引退する」という宣言に他ならない。
私はこの瞬間、己の浅はかさと能天気さに気づき、両拳で自分の頭をゴツゴツと殴りたくなる衝動を抑えるのに必死でした。

ー井上九段の棋士人生は残り7年どころかもっと早くに終わりを迎える可能性がある。先生のご決断次第で。ー

それは「どんなに短くてもあと7年くらいは先生の応援ができるのではないか」とぼんやり考えていた私の頬をピシャリと打つかのような衝撃でした。

「最悪の場合、最短で残り7年147局ってこの前、計算してたっけ?」
「あんたって本当に馬鹿だね」
「井上九段が全敗やそれに近い成績不振に陥っても7年間フルに指し続けるような先生だと思ってたの?」
「そんな先生じゃないってちょっと考えれば分かりそうなものなのに」
「何年井上ファンやってるわけ?先生のこと全然分かってないね!」
もう一人の自分がお気楽な考えでいた私を責め立てる。
(何年ファンやってるかって?まだ4年だよ、たったの‥)
泣きそうになったけれど、とにかく番組が終わるまではと涙を堪えて、番組が終わると同時に家族に歪んだ顔を見られないようにお風呂場に駆け込んだ。
自分の見通しの甘さに気づけなかったのが悲しくて悔しくて、結局は涙を止められずそのままメソメソと泣いてしまった。

どのくらいそうしていただろう?目一杯泣いたら少し落ち着いた。
そして「どんなに応援していたとしても本人以外の誰かがその人の心の内を理解できる訳なんてないよなぁ」とか、
「ファンだからといって何の関わりもない赤の他人が、人様の人生をあれこれ考えること自体が思い上がりなんだよねぇ」
とか、そんな当たり前のことに改めて思い至ったのでした。
井上九段が今回、番組内であのように率直なお気持ちを語って下さったことでそれに気づくことができました。本当に感謝しています。

井上九段はただ長く現役でいられればいいとは考えておらず、【良い内容で】現役を続けたいとのお気持ちなのでしょう。
そのためには対局でどのように結果を出していくか、そしてそれには対局に向けての準備が重要なのだと思います。
ですが井上九段はここ数年、連盟の常務理事を務めており、タイトル戦では公務で現地に赴き、将棋イベントがあれば挨拶で登壇されることも多い。
常務理事の仕事は人前に出るだけでなく外からは見えない内部的な事務も当然数多くあり多忙を極めていらっしゃることでしょう。
一方で地元に戻れば多くの弟子たちが加古川の道場で待っている。
普及、運営、育成、そして何よりも一番大切な自分自身の対局もある中で、対局以外の仕事に時間を取られ将棋の研究が思うようにできないであろうことは容易に想像がつきます。
ですが、井上九段はそれを言い訳にすることなく全てを受け入れた上で「これこそが棋士だ」という矜持をお持ちなのではないか。
だから先生はいつも凛々しくて格好いいのだと思います。

井上九段の現役生活は私が考えているよりも早くに終わりを迎える可能性がある。
しかし息長く、この先もずっとこれまでのように活躍し続ける可能性ももちろんある。
先生が選んだ唯一無二の大切なこの道がどういう形で終局を迎えるのか、その日がいつ来るのかは分からない。
でも未来がどうであれ、私は井上九段が真っ直ぐに道を歩いていかれる姿を信じて、その背中に向かって少し離れた沿道から腕がもげるくらいの勢いで手を振って応援します。
先生から見えても見えなくても、いつだって思い切り力いっぱいに。
それ以外にできることは何もないから。

今は「限りある井上九段の今後の公式戦を、これまで以上に一局一局大切に応援していこう」
そして「先生が最後の日を迎えるまで、ずっと変わらず手を振り続けよう」と固く胸に誓っています。

最後にひとつだけ、ひっそりと打ち明けてもいいですか?
10年先に再び「10年後の自分はどうなっていると思いますか」とインタビューで聞かれ、
「流石に10年後に将棋はやってないですわ。でも5年後なら、まだ現役で指してるかもしれんねぇ」と今と変わらない笑顔で答える井上九段を見ることができたら‥と願わずにいられません。
それが叶ったら、私はきっとまた泣いてしまうでしょう。
でもその時は悲しい涙ではなく嬉し涙です。

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