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note、やってみます。

はじめまして。きょーこです。

東京生まれ、神奈川育ち。いろいろなことがあり、山梨県南アルプス市で、農家暮らしをしています。都会で育った私が感じるの農村の日々の暮らしを綴っていく中で、「農業の未来」を想う人が増えたらいいなと、noteをはじめてみることにしました。

noteに投稿しているが友人がいるので、前から少し気にはなってたんです。
そんな時に「noteで学生と地域の方々がつながる、という思いつき。」を熱を込めて話す画面越しの兼清先生を見ていたら、やってみます。の返事しか思いつかなく、今ココです。思いつきの詳細は兼清先生のnoteへ。

それにしても、思いつきを打ち明ける相手として、私に興味をもっていただけることに感謝です。友人ゼロからスタートしたこの暮らしもたくさんの出会いに恵まれています。これからのnoteにもきっと登場することになると思います。とても素敵な町に住んでいます。

というわけで、少しだけ、私についてお話してみます。
はじめまして、片山京子です。
獅子座A型一人っ子、動物占いはライオン。肉食女子ですね。
子ども2人(長男、長女)、35歳からのほぼ年子育児に奮闘している母です。
1978年 東京うまれ、神奈川で学生時代を過ごしました。
仲の良い友達が受験するっていう流れに、原辰徳さんが好きという不純な動機で、東海大学付属相模中学校・高等学校に通いました。ここで、超ポジティブ脳が作られたと今になって実感しています。

進学は大学付属だって言うのに、とにかく早く社会に出たいという思いが強すぎて、短大に進むことにしました。少しだけ普通ではない家庭環境の影響だと思っていたけど。大人になって、特異だと思っていた自分の家庭環境も以外と普通で、むしろ普通の家なんて、ほとんどないんだということに気づかされました。それでも、やっぱりぶっ飛んでる父と超マジメな母のもとに育った影響は大きくて、そんな話もそのうちするかも。
それで、短大にもいくつか専攻があって、指定校推薦で自由に選べたんだけど、英語がやりたいと言うと、情報処理の成績が良いからと担任の先生が強く勧めるので、情報社会学科に進みました。超お嬢様学校で、だいぶ愉快痛快な彼女たちの暮らしを垣間見ることになりました。ご学友にお言葉づかいを注意されながら、ごきげんようを何の抵抗もなく言えるようになりました。花子とアンの花子の気持ち、めっちゃわかるーって思いながら見てました。

就職は超氷河期と呼ばれる時代。得意なことを仕事にしたら良いと、就職相談室の先生が勧めるので、当時波がきていたITの世界に就職することにしました。保険会社に良いイメージはなかったけれど、ITのスペシャリストを育成することに力を入れている会社だということと、女性もキャリアアップできる可能性があること、給料もそこそこ良いし、制服、自社ビルがキレイという、いかにも19才の小娘らしい理由で、損保業界のSEになりました。

SEになって、やっぱり得意なことで、研修も、業務もそこそこできて、できることって楽しいから、忙しくても楽しい毎日でした。
女性の働く職場という目線では、1997年に改正男女雇用機会均等法が施行されたこともあって、就職当初はセクハラと取られるような言動はあったような気がするけど、2~3年であっという間になくなりました。2004年に会社は合併して、気づけば制服もなくなって、女性だけにあった職種がなくなって、男性も女性も変わらないキャリアを描けるようになっていました。女性も働き続けるのが当たり前という論調に、寿退職、出産退職という選択がマイノリティになっていき、あれ、辞めるタイミングないな。このまま定年まで働いて会社のトップを目指す?と、思うこともありました。

本当はね、就職して5年以内に寿退職して主婦になろうかなーと思っていたんです。でも、気づけば仕事が楽しすぎて、保険が大好きになっていて、どうすれば働き続けられる?と、自分のことだけではなくて、会社の中のダイバーシティ推進に係るようになっていました。最終的にはいろいろな思いで14年勤務して退職するんだけど、社会人としての私の基盤は今でもここにあります。会社員時代の話もそのうちするかな。記憶が若干美化されているけど(笑)。

で、会社を辞めたんですが。
農業に係ることをやる、父の会社を引継ぐということだけ漠然と。
得意なことではなくて、好きなことを仕事にしてもいいのかも。大切な人の役に立ちたいという気持ち。食に係ることがしたいなという漠然な思い。
人生で初めて自分の進路を自分の意志で決めたような感覚でした。
それでも、その前に少しだけ、経済に捉われることなく、自由にしてみようと思って、ほぼ働かず、好きな旅行をして日々を過ごすことに。国内は会社員時代に車で何度も周っていたので、個人旅行で海外を周ることに。バックパッカーほどではないけど、スリルあふれる旅をしました。旅の話も少し思い出せたら投稿してみようかな。
まずは写真を見返してみよう。その後、社会情勢は深刻なものになって、旅行に行くのも足踏みされるようになってしまった。

二十歳ぐらいの時に、ふと道で占い師に声をかけられたことが合って、めっちゃ怪しいんだけど、伝えたいことだけを言って去っていくというタイプ。なにがしたかったのか今でも謎なんだけど、なんか、心に残っていて、「あなたはたくさんの人に守られています」「あなたは鳥かごの中にはいられない鳥です、かごの中にいるためには常に特別なエサが必要です」って。私の何を知ってるんじゃっ!とその時は思ったけど、あぁ、そんな感じですよ。と、今は思っています。

さて、本腰を入れて父の会社を手伝おうかな、山梨との2拠点生活もどうやっていこうかな。と動き始めたころ、長男を授かりました。子供がいない人生も考え始めていた頃だったので、驚きの方が大きかったけど、自然と子供中心の考え方に変わって、少し自分のことはお休みすることにしました。ここで両方の舵を取る人もいるんだろうけど、私はそういうタイプではなかったみたいです。

育児中心の生活の中、長男が1才半のとき、長女が産まれました。予定日は3月だったのだけど、なかなか出てこなくて、4月生まれ。学年は2つ離れたけど、ほぼ年子育児がスタートしました。長男だけの時は、めっちゃ丁寧に毎日を過ごしていたけど、2人になったらうーん、元気なら何でも良い!と思えるように(笑)35歳過ぎてからのほぼ年子育児。良いことも大変なことも感じている、ちょっと可笑しな子育ての話もできるかも。

そんな頃に、夫である彼が農業してみるか。と言った。言ったよ。私のやりたいことだったはずなんだけど、彼のやりたいことにもなっていた。と言うことで、少しずつ情報を集めて準備を進めて、山梨で農業をスタートすることになりました。父の会社の引継ぎはゆっくり進めて行こう。父も元気だし。と言うことになった。

さて、農業大学校で入学の話をしようと山梨を訪れました。とても寒い、雪の日だった。その翌日、父が救急車で運ばれ、病院に駆けつけました。痛みは少しあるようだけど、大丈夫そう。主治医のいる月曜日にまた診てもらおう、と帰ろうとしたその時、すーっと倒れて、戻ってこなかった。人生の中で一番の悔やまれる日になった。この話はここではもうしないと思う。

父がいなくなって、会社の引継ぎどころではなく、とにかく前に進めなくてはならないことが山ほどあった。頭の中はすっかり仕事脳に戻っていた。それでも、会社を継続するのか決めきれないでいるところに、高校時代の友人がやってみたいと声をかけてくれたので、お願いすることにしました。

一方で山梨での生活はスタート。彼は農業大学校に通い、私と子供たちは神奈川での生活、家族離れての2拠点生活になりました。彼は、野菜農家としてきゅうりととうもろこしの施設栽培をスタートしました。少しずつ片付いてはきたけど、会社の整理は現在進行中です。移住とか、農業の話は彼のnoteに書いてくのかな?と勝手に思ってるんだけど、たまには私目線のうちの農業の話もするはずです。

家は養蚕をやっていた旧家を購入しました。リノベーションしてスマート古民家になる予定ですが、まずは農業を軌道にのせることで精一杯。蔵もリノベーションして、人が集える場に、趣味のパンやお菓子、料理の教室もできたらいいなぁと思ってるんだけど、もう少しかかるかな。古民家暮らし、リノベーション始まりましたー!っていうのも早く話したいな。
そう、パン、お菓子作り、料理がストレス発散&趣味なんです。なので、食の話しは多くなるかも。新しい発見をもとめて、外食も好きなので、美味しいご飯の話もしたくなるかな。

女性農業者の友人もできました。気づけば彼女たちとやまなし農業女子を立ち上げていました。農業者って同僚もいないので、ただ仕事のことをわかってくれる、同じ目線で話せる相手ができた。それだけで、日々の暮らしが変わったと感じています。都心の女性活躍推進とのギャップを感じることもあるし、私のことだけではなく、他のメンバーの話も紹介できたらいいなと思っています。

という感じで、目の前のことに精一杯に暮らしているうちに、山梨での生活も3年経っていました。
友人ゼロからスタートしたこの暮らしも、大切な出会いに恵まれています。
この町で暮らす人が大好きです。

少しだけって言ったのに、だらだらと書きましたね。
noteって、書いてるとね、編集画面に文字数が出るんですね。
この投稿が初めてにして、最高文字数になるかもなー。

Instagramもやっとこ更新し始めましたが、noteはどうだろうー。
今も、兼清先生から楽しみにしてます!みたいな、激励メッセージきてるし(笑)週に1度は更新できるように、がんばりまーす!

基本的にはボーっとしていて、何でも受け入れちゃうたちなので、何かに怒っていたりしないし(子どもたちには怒るけど)、ポジティブ脳なので、ほぉーっとか、へぇーっとか、そうなんだーって言うことを、明るく書いていくと思います。お時間あるときに気楽に読んでいただけると嬉しいです。

次は、
なんで、農業?なんで、山梨?に?
って話をまとめてみようかなーと思います。

やっと、書けたので、兼清先生に報告します(笑)
では、みなさん、次回までお元気で。
ごきげんよう、さようなら。


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