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泣き虫泣きんこ

作:遠藤響子

その娘はよく泣く子で淋しいのはもちろん楽しくても泣きました。最初はちょっとこらえてポロリと涙がこぼれます。村の誰もが「泣き虫泣きんこ」と彼女を呼びました。

ある日大雨が降って村の大半が水に埋もれてしまいました。こんなことがあれば「泣きんこ」はこの時とばかり泣くだろうに「泣きんこ」は泣きませんでした。村人が不思議に思いたずねました。

村人「おまえは何かあるといつだってすぐ泣くのに、どうして今回は泣かないんだい?」
娘「食べちゃったから。」
村人「???」

そうして水は引き、すっかり村も元に戻ると、今度はひどい日照りが続き、村の水が涸れてしまいました。こんなことがあるのにその時も泣きんこは泣きませんでした。村人がたずねると娘は「もう、ねむたいの。」と答えました。

そのうち村には変なウワサが流れ出しました。「あの泣きんこはとうとう頭がおかしくなったらしい。」こうして泣きんこはうとまれていきました。が、相変わらず泣きんこは月がのぼれば泣き、風吹けば泣き、おかしなことがあれば泣いていました。

その百年後、郷土文化の資料を探していた学者が村の役場の金庫に「水神女(すいしんにょ)様」と書いてある古びた本を見つけました。

彼の地水無田(みなしだ)は二百年前には水もなく一切の農作物もとれなかったが、ある日不思議に山が割れ、清らかな水が水無田の地に流れこむようになった。息もたえだえ貧しい暮らしをしていた村人はだんだん豊かになっていった。山が割れた日を山水望(さんすいぼう)元年とし、その年に泣きんこは生まれた。そしてその書物には泣きんこは山から任命された水神女様の化身であるとも書かれていた。

泣きんこは水の通り道の門番だったのです。よく泣いてしまうのは門の蝶番(ちょうつがい)が弱いせいで、開きすぎると洪水になり、閉め過ぎると日照りになってしまっていたのです。洪水になった時に「食べちゃったから。」と答えたのは水を食べて水を減らし、日照りになった時に「もう、ねむいから。」と答えたのは、たくさん働いたので疲れて「もう、ねむい」と答えたのです。神様のお使いと言ってもいつもうまく水の番ができるわけではありませんでした。

それでも泣きんこは泣き言ひとつ言わず、およそ百年水の番をつとました。
世の中には「泣き虫泣きんこ」のように何を言われてもだまって黙々と一番大事なことを支えてくれている人たちがたくさんいます。そして大事な役割を担ってくれている人たちは、案外口下手で大きな声で自分のやっていることを宣伝しないものなのです。

なぜなら大きな役割を担っている人たちは、人から認められたり感謝されたりすることが仕事ではなく、大きなつとめを遂行することが仕事だからです。

泣きんこは最後まで村人に姿を明かすことなく誰にも感謝されることなく天に帰って行きました。今ごろ泣きんこは大きなつとめを無事に終えて、天で初めて笑っていることでしょう。

おしまい

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