見出し画像

アクシェイ・ヴェンカテシュ(宗野惠樹准教授の記事他から引用)

『数学セミナー2019年2月号』に掲載されていた関東学院大学理工学部准教授 宗野惠樹氏による「フィールズ賞業績紹介」の記事により、オーストラリア人数学者アクシェイ・ヴェンカテシュ氏に関心を持ちました。以下、複数のソースからヴェンカテシュ氏について得た情報をまとめます。(敬称略)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

アクシェイ・ヴェンカテシュ (Akshay Venkatesh、1981年11月21日生)は、オーストラリアの数学者で、2018年8月15日からプリンストン高等研究所の数学部門の教授を務めている。彼の研究対象は、保型形式と数論、その中でも特に表現論・局所対称空間・エルゴード理論・代数トポロジーにおける、数え上げと等分布性問題の分野である。

ヴェンカテシュは、国際物理オリンピックと国際数学オリンピックの両方でメダルを獲得した唯一のオーストラリア人である。

2018年、ブラジルのリオデジャネイロで開催された国際数学者会議において、当時36歳のヴェンカテシュは、解析的整数論、等質力学、トポロジー、表現論の融合により、フィールズ賞を授与された。彼は歴史上通算61人目のフィールズ賞メダリストであり、フィールズ賞を授与された二番目のオーストラリア人、二番目のインド系の人物である。
フィールズ賞の表彰で、ヴェンカテシュは「数学の特別に広範なテーマへの深遠な貢献を与え」、「一見無関係な分野からの方法を組み合わせ、多くの長年の問題を解決し、古典的問題に対する新奇な観点を提供し、著しく遠大な予想を生み出した」と紹介された。

ヴェンカテシュはインドのデリーに生まれ、2歳の時に家族は西オーストラリアのパースに移住した。母親であるスヴェタは、ディーキン大学の計算機科学の教授である。ヴェンカテシュは、州立数学オリンピックプログラムにおける才能ある生徒に対する課外訓練クラスに参加し、1993年、まだ11歳であったにもかかわらず、ヴァージニア州ウィリアムバーグでの第24回国際物理オリンピックで銅メダルを勝ち取る。翌年、数学へ関心を移し、オーストラリア数学オリンピックで2位となった後、第6回アジア太平洋数学オリンピックにおいて銀メダルを獲得、香港で開かれた1994年国際数学オリンピックで銅メダルを獲得した。同じ年に中等教育を終え、13歳の時、西オーストラリア大学へ史上最年少で入学。彼は、3年間で4年の課程を終え、16歳の時大学から純粋数学における第一級優等学位を得た最年少の人物となった。同時に、理学・工学・歯学・医学の学部から、その年の最も傑出した卒業予定者として4つのウッズ記念賞を授与された。
1998年プリンストン大学のピーター・サルナック教授の下で博士課程を開始し、2002年修了した。次にマサチューセッツ工科大学にてC.L.E. ムーア講師を務めた。2004年から2006年まではクレイ数学研究所からクレイ研究奨学金給付生の地位にあり、ニューヨーク大学のクーラント数理科学研究所の准教授を務めた。2005年から2006年までプリンストン高等研究所(IAS)の数学部門の一員だった。2008年9月1日、スタンフォード大学の正教授となった。2017年から2018年の間、IASの特別客員教授となり、2018年8月中旬に、終身教員としてIASに戻った。

ヴェンカテシュは、一つの論文のページ数が多い傾向にあるが、これについて記事執筆者の宗野惠樹は次のように考察している。

抽象的な定理を与えた後に簡単に具体例を紹介し、読者が置いてけぼりにならないよう細やかに配慮していることが挙げられる。
ひとつひとつの説明が丁寧なのである。数学の論文は得てして「分かる人にだけ伝わればよい」というスタンスになりがちである。
これは一般の数学者が傲慢な性格だと言っているわけではなく、現実問題としてページ数の多い論文は雑誌にも読者にも敬遠されがちなので、ある程度細かい説明を削らざるを得ないのである。
これに対しヴェンカテシュの論文にはそういった印象がほとんどなく、1人でも多くの研究者に自分の研究を理解してもらいたいという気持ちがよく伝わってくる」

数学セミナー2019年2月号(日本評論社)「フィールズ賞業績紹介 ヴェンカテシュ」宗野惠樹

ヴェンカテシュは、西オーストラリア大学在学中、名誉クリケット団体の設立メンバーの一人であった。ジョギングを趣味としており、インタビューでは「走ることが私の精神をクリアにする」と語っている 。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?