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ワニきるヒント

毎朝、果物をガラスのコップに盛ると「綺麗だな」と思う。

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この世の中にはいろんな綺麗があるけれど、今は手のひら上に気軽にのせれて食べたりできる身近で毎日続く綺麗は心地がいい。

今朝は焙煎が無く、出荷の段取りも昨日のうちに終わっているのでゆっくり時間が進む。朝7時に目が覚めたのも余裕の一つである。

出荷伝票の整理が済んでから、今こうしてPCに向かってる。いつも立ち読みしている京子日記を今日は机の上で椅子に座って読んだ。

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私は、私の生態が知りたいから、旦那さんに京子日記を書いて欲しいと頼んだが、日々読み続けると励ましという問いかけが常に詰まってる。

ワニらしく生きている人から(私らしく)生きるヒントが書かれてる。

〝何か面白い風景に出会えたかな〟

いや別に、これと言ってなかったけれどこの人はきっと何か面白い風景を常に見つけるんだろうな。

〝何だかゴソゴソムシャムシャ。〟

私の生きている音だ。

〝シンドイ〟

が、シンゾウ(心臓)に読める。生きてる音を口(言葉)に、できることはしあわせの一つに思えた。道なき場に自分の生きる道をワニらしくゆっくり歩いている旦那さんの進んだ方向の後に道が常にできている。ゆっくりだから休憩広場が多い感じがするけれど生き抜くヒントはそこのなる気がした。

私は、この日、表参道のヴィーガンカフェで(東京で)唯一愚痴が連打(連打が重要)できる友人の悩みを聞きながら、自分が嫌だと感じていることを呟くと

「私も嫌だけど我慢するからさ、京子ちゃんもそこ我慢してよ」

と悩みは違えど〝大人の社交辞令的な楽に生きる方法〟を一回一緒に試(我慢)してみようよと言われてる気がして、もう少しだけ片目を瞑る訓練をすることにした。

私が友人にアドバイスしたことは

「(今となっては多分)経験したから言えることなんだけどね。(自分勝手に人が)都合が悪なった(飽きたから、嫌いになった)からと、いい大人が絶交するようなことをすると、〝気楽に口が聞ける気抜けが無くなる〟ことを場数をたくさん踏んでる人は多分知っていて、社交辞令みたいなフェイドアウトを多くの人が選ぶ気がする。
 それは、相手がというより自分が楽(傷つかない)に生きる手段なんだと思うよ。経験しないと多分わからないことで、じゃあそんな経験たくさんある(そうゆう手段が自然に身に付く)方がいいかと聞かれたら?(分からないん)だけどね、ただ何気ない時に何気ない会話ができる人(存在は)大切なんだよ」

って伝えた。

わかるようで、分かりたくないけど世の中そうだねって思えるから、一緒に我慢するらしい、わたしと中子(友人)は。

今年の秋晴れは少々天が高すぎるような気がするが、思っている以上に冬が早くやって来そうだ。

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