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生きてる音2

最近、夜なべ仕事が増えて朝早く起きれなくなったと小さな悩みができた。
何もなければ自然と4時に目がさめることをこの前まで(早すぎると)それが小さな悩みだったのに、本当に人間はないものねだりで困るが、一番の理想は陽の光と共に行動する余裕です。

朝はいつもワニサラダを作り、それが朝食の準備に続く、洗濯物を干し、自分の朝ごはんを食べつつ、Facebookからお客様におはようございますを伝えつつその合間に(余裕があるときは)YouTubeで淡々と珈琲を淹れている動画を上げる。毎日同じ風景の中でちょっとした変化が後々自分で見れたらいいな、なのですが、noteの楽しみを知ってからはPC画面の前に座って京子日記について生態観察することが楽しみ。

それが終わって、早速焙煎の準備のために焙煎機と生豆と向き合う時間が2時間から3時間。全てが私の今生きてる音に直結する。

グツグツグツ湯で卵が茹だる
トントンとシャシャシャ、ジャーサラダが生まれる
ガチャン、カチャカチャバタン冷蔵庫からものが出たり入ったり。

ムクムクと心に響く珈琲を淹れる感覚

ムシャムシャ食べる音ゴロンゴロンと洗濯機が回る。
バサバサバサ洗濯物を干す。
カタカタカタ、パシャリ、スースースマホやPCの上を指がすべる。

焙煎の準備の音は私にとってセルフコントロールに近い。

シャーシャーシャー、豆を選別。
出来上がったら調合してドン!と置くまでがハンドピック?

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ふと、不安ストレスを感じかければ大きく息を吸って吐く。
ゆっくりと。全てが私が生きる音であり自分だけの秘密に思っていたが
京子日記に生態系として書き記されていて
生きてる音のありがたみを再認識する。

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昨日は珈琲こしの打ち合わせに行く。真剣に茶こしの作る工程の決まりごとを教えてくれる辻くんの職人魂にいい意味で日記に書かれてるのだと思う。
(メッシュの決まりことが壁となっている)

誰かを幸せにすることは簡単な様で難しい。
難しい様でささやかな柔らかさのようなことだと思う。

私は旦那さんのことこと、焙煎人の生きる幸せのお手伝いができることは
光栄だと思ってる。

多くの人を幸せににするためにエネルギーを使っている人もそれは素晴らしいと思うけれど、他人に迷惑をかける事なく地味でも自分の幸せを噛み締める人を見ると、ちょっと幸せをお裾分けしてもらえた気分になる。

川口さんがご馳走してくれた珈琲はそんな感覚だ。
そうだ、一度焙煎人が生きている音を私が表現するのも面白かも。

珈琲こし、珈琲日本手ぬぐい、珈琲マグカップ、どれが一番ん早く形になるだろう。

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バンブーの節が沢山あるのは竹の赤ちゃんと教えてもらった。
いい勉強。

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