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私が私を守れなかった

その場で感じた違和感を言語化するのに時間がかかることが私の課題です。

「え?それは違うと思う」って感じても、
なかなか言葉にすることができません。

だから、後からその時の出来事を反芻して落ち込んだり悲しい気持ちになることもよくあります。

そして今回は、言語化できなかったことで、自分自身に大きなダメージを与えてしまいました。

母が急逝してから、丸2年。

本当に急だったので、離れて暮らしていたせいか、
いまだに実家で元気でいるような錯覚を覚えます。
次に帰るときは、何をお土産にしようかなぁなんて、
本気で考えている自分に気づいて、呆然とすることもあります。

そんな中で、二回目の命日をどんなふうに過ごすか迷っていました。

だけど結局は、今まで通り楽しく生きているところを、
母に見てほしいなって思い、なるべくいつも通りに過ごそうと決めました。

朝の出勤前の時間には、いつも楽しみにしている速読のレッスン。
五感をフル活用させた状態で思考させて、
潜在意識からキーワードを引き出すワークをしているときのことでした。

母の命日であることを伝えてあったからか、インストラクターは
「それでは今日は、お母さんとの思い出を話してみよう」って明るく言いました。

普段だったら、「5年後の自分は何してる?」とか「ワクワクした思い出は?」とか、
話をしていて、楽しい内容ばかりテーマでした。
だけど、今日は、母との思い出?え?どういうこと?
私はいまだに母が旅立ったことを受け入れられないのに、母との思い出を語れって・・・
まるで母がいなくなってしまったような、過去になってしまったような、・・・
どうして思い出を、この場で話さなくちゃいけないの?

私は突然混乱しました。

だけど、毎回この時間は、楽しく過ごすための時間と捉えていたので、
なんとかその場を取り繕うしかなくて。

泣きそうになるのを堪えて
「母との思い出。
私に一番大きな影響を与えた人物だから、改めて存在が大きいなぁと感じてます」
ってそれだけやっと、言葉にできたのでした。

このワークの最中は、目の前で本をパラパラと眺めながらも、
周辺視野も意識する必要があり、
インストラクターが手を振ったら「あははは」と笑うルールがあります。

とてもとても、笑える状況じゃなかったのに、
それでも私は、楽しい時間にしなくてはって思って、
本当は、震えて泣いている自分を無視して
「あははは」って声にしたのでした。

こんなふうに、左脳をフル活用して麻痺した状態では、
右脳に頼るしかなくて、
右脳が優位になっている状態で起こったこの出来事は
潜在意識の奥の方にしっかりと入り込んでしまいました。

私の意識の中には、
私が私を守ることができなかった
という事実だけが、深く深く刻まれてしまったのでした。

私が私を守ることができなかった

「まだ母との別れを受け入れられてないから、そんなこと聞かないで」って
ワークを中断して、言葉で伝えられていれば、何にも問題なかったのに・・・。

私が、私自身が、傷だらけになっている私を無視して
その場の空気を取り繕うことを優先してしまった。
そのことが、大きな魚の骨がノドに刺さったように
鈍い痛みとしていつまでも残っているのでした。

心理ワークは、誰とやるかがとても大切だと感じました。
そこに信頼関係がないと、
お互いに大きなダメージを負ってしまうことに。

否、今回は、自分への信頼関係が築けていなかったのだと思います。
泣いているのに。やめてって言っているのに。
「お前は黙ってろ」って押さえつけてしまった。

ごめんね。
ごめんね、自分。

幸いなことに
自分を癒したり、潜在意識を整理するワークを
たくさん経験してきたので
痛みをしっかりと感じ切った今は
自分を癒すことから始めようと思います。

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