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プレ皇室研究: おおー!! 先行研究があったぞ!! 原田大六先生の弟子?後輩?だ!! やはり伊都国は皇室のルーツだ!!

さっき、このネタを書きました。
なんで、先行研究とかないんだよーーーー!!!??

と思ったら、わー、やっとみつけました!!

こういう、研究者がいました。少ないですが、2冊本を出されています。

「1933年 福岡県生まれ。1965年 平原弥生遺跡の調査を行なう原田大六氏と出会い、考古学を学ぶ。原田大六氏が亡くなったのち、平原弥生古墳調査報告書編集委員として『平原弥生古墳―大日〓貴の墓』(原田大六著)の制作に携わる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)」

おおー、原田大六先生の弟子(?)じゃんかー!!
なんだー、正統派です。学歴とか書いてないから、どこの大学系列なのか?あるいはアマチュア学者あがりなのかちょっとわかりません。

90歳ですよー!! 長生きされていてよかった!!

おおー、本も出てるよー!! 2023年だ、最近だ!! お元気そうだ。
おまけに 第一巻とあるので、次もありそうだ!!
いいぞー!!


というわけで、購入して読みたいと思います!!

これで、伊都国=プレ皇室の国 ってことでいいじゃんかー!!
素晴らしい!!
伊都国が、日本の皇室のルーツだぞ!!

なんで、他の学者、眼をつけないんだよーーーーー!???

ついでに、これは伊都国の説明。
10000戸ほどだから、5人平均としたら5万人ほどのクニだが、古代だから、そんなものだろう。むしろ、十分大国である。
今の日本の「市」くらいのサイズイメージでいればよい。

引用しますが、なんと、鏡に続いて、剣まで出ていたのだ!!
原田先生が、熱田神宮の三種の神器の剣と似たものだといわれています。

「三雲南小路遺跡[編集]

三雲南小路遺跡は、国の史跡に指定された三雲・井原遺跡の南小路地区を構成する弥生時代中期の方形周溝墓で、甕棺2基を主体部とする王墓と考えられている[4]

1号甕棺の副葬品は、銅剣1、銅矛2、銅戈1、ガラス璧破片8個以上、ガラス勾玉3個、ガラス管玉60個以上、銅鏡31面以上、金銅製四葉座金[5]8個体分などである。この他にも鉄鏃 1、ガラス小玉 1が出土している[6]

鏡の多くは「潔清白」に始まる重圏文または内行花文鏡であり、福岡市博多区聖福寺に伝えられている内行花文鏡に合う外縁部が出土している[7]。この鏡の直径は16.4センチメートルである[8]

1号甕棺の北西に近接(15センチメートル横)して 2号甕棺がある。甕棺内に内行花文鏡日光鏡) 1面が元の位置のまま発見された。直径6.5センチメートル、「見日之光天下大明」(日の光、見(まみ)えれば、天の下、大いに明らかなり)という銘文を持つ青銅鏡である。

副葬品[6]は、銅鏡22面(星雲文鏡1、内行花文銘帯鏡4、重圏文銘帯鏡1、日光鏡16。)以上、ガラス小勾玉12個、硬玉勾玉1個、ガラス製垂飾品(大きさは 1センチメートル弱で紺色)が出土している。 銅鏡は6.5センチメートル前後のものが多い[8]

1号甕棺を「王」とすれば、2号甕棺は「王妃」に当たるものと推定されている。1.5メートル以上の盛り土の墳丘墓であることは、青柳種信が記すところである。平成の調査で周溝を持つ事が確認され方形周溝墓と判明し、現在その様に復元されている。

なお出土品の有柄銅剣は熱田神宮に祀られている天叢雲剣との関係が指摘されている[9]

重要なところは、太字にしてみたが、いやー、おもっきり三種の神器に近いものばかりです。
そういうカルチャーがあるのでしょう。

しかも「金銅製四葉座金」っていうのが、中国文化でいうと「王様の印」なんだそうだ。
伊都国の王様は、中国から見ても、「ちゃーんと王様」認定されていたのですな。

おおー!! 今、ひらめきました!!

あ! そうか!

なぜ皇室が古事記とかで邪馬台国について、何もいわないかっていったら、自分たちが邪馬台国の属国で、小国扱いされていたのが、屈辱的だから、語りたくないからなんだ!!

これで、古事記が邪馬台国に何も言わない、スルーしている理由がつきましたね!!

追記
 実は景行天皇の時代にはすっかり忘れ去られていて、属国問題以外にも、単純に「亡失」というのもありました(苦笑)。とほほ、日本人、平均IQは世界一高いのに、忘れっぽい。間抜けすぎる。orz

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