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プレ皇室研究: 天皇家の祖先は伊都国王だった!(たぶんw)

前に原田大六先生と平原遺跡について説明しました。

原田先生によると、平原遺跡は玉依姫の墓と推測されていて、古代の太陽信仰の女王の墓と推測されます。
しかも、三種の神器も出ていて、国宝になった鏡は、まさに八咫鏡といえるものでしょう。

三種の神器を持っていて、かつ、太陽神信仰で女性(女王または巫女)というのは、卑弥呼ではなくて、文化系統でいうと天照大神(またはその娘関係)であるってことです。

そして、それが伊都国内であり、伊都国の女王となると、まさに灯台下暗しですが、天照大神が当初、伊都国女王だったということになります。
スサノオと姉弟結婚(古代にはよくある)した天照大神ですが、仲たがいしてスサノオは山陰山陽地方に、天照大神(皇室一派)はまだ畿内にいきませんし(ニギハヤヒは別)、四国は将来の邪馬台国のライバル国が群雄割拠していたので、水田稲作したいとなると九州に行くのは当然でしょう。山陰山陽地方については、すでに出雲一族となんらかの戦闘もしていたでしょうから。

伊都国は魏志倭人伝でいうと、なんというか「邪馬台国の途中のしょーもない中小国」扱いなのです(苦笑)。これこそが、私たちが灯台下暗しという点です。

また、九州西側は吉野ケ里遺跡の縄文一族が抑えているので、後発渡来人一族は入り込めません。一方、北部であれば、たくさん渡来人もいたでしょうし、平野があるので稲作もしやすいので、小国でまとまっていたのはありかなと思います。港もまあまあ近いので、貿易も可能です。そもそも、もしかしたら、まだまだ古代なので、大陸にいたはずの天皇の先祖たちと、親せき付き合いでの貿易もしやすかったかもしれません。


さて、皇室の系図を見てみましょう。
神武天皇の父である、ウガヤフキイアエズと玉依姫の夫婦がそれですが、この玉依姫が糸島の女王だったと考えられるわけですなあ。
(しかも、系図上、甥叔母結婚という変わった状態なので、下手したら15歳と30歳花嫁ってことかもしれない。いやあ、大変だ。)

ウガヤフキイアエズは、宮崎県生まれっぽいですが、まあ、九州なので拠点を変えるのはありでしょう。生まれたところから、移動するのは普通です。まして、九州南部は火山もあるのですから、移住しないと安定生活できません。

玉依姫は海神の娘ってことなので、要するに海洋民族、航海技術を持っている一族の娘ってことですね。

家系図はこのとおり。

この上が、イザナギイザナミ夫婦なので、皇室直系だ。天照大神から見たら、4代後ですな。30年ずつなら、120年後。まあ、どうも長生きっぽい形跡もあるので、50-60年ずつで200-240年くらい九州にいたのかもしれない(だいたい、王様は栄養状態がいいので、庶民よりは長生きすることが多い)。
その前は瀬戸内海とか四国のすみっこってことだろう。四国は邪馬台国のライバルが戦乱中ならば、いるのは嫌だから、温かい九州にいく可能性は高い。だって、農作物が実りやすいからだ。なんせ水田だし。


ちょうど糸島市のチャンネルで紹介されている遺跡動画をリンクします。

伊都国の動画、2本です。
時代が古いから、けっこう甕棺なんですなあ。
2人分の墓が出ていて、王様と王妃様ではないかと推測されています。
骨があったら、DNA鑑定してくれたらいいのになあ・・・・。

九州北部で、伊都国が一番鏡の出土が多く、栄えた土地ってことだ。
それなりの大きな勢力だったのだろう。


まあ、5世紀なのでどうでもいいが、これはこれで面白いです。
木製埴輪っていうらしいが、トーテムポールみたいですね。門扉的なかんじ。

ちゃんと整備してあげればいいのに・・・。木がぼーぼーじゃん。

ついでに、こんなのまである。


なんで、考古学者とかって、伊都国に注目しないのかなあ。

もうちょっと調べます。

まじに、もし福岡県関係者は糸島関係者いたら、観光産業、考古学産業として、リソースは大切にしたほうがいいよ。

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