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プレ皇室研究: 保食神と馬と蚕

先日、イザナギの後妻が、保食神で、実はイザナギの娘が後妻で、三貴神を産んだのではないかという話を書いた。


ところが、この保食神であるが、ちょっとおかしいのだ。引用してみよう。
なんと、紀元前のはずの皇室の話が、5世紀以降の馬が出てくるwww
蚕も怪しい。

「天照大神が保食神の所に天熊人(アメノクマヒト)を遣すと、保食神は死んでいた。保食神の屍体の頭から牛馬、額から粟、眉から蚕、目から稗、腹から稲、陰部から麦・大豆・小豆が生まれた。天熊人がこれらを全て持ち帰ると、天照大神は喜び、民が生きてゆくために必要な食物だとしてこれらを田畑の種とした。その種は秋に実り、この「秋」は『日本書紀』に記された最初の季節である。」

蚕の歴史をみてみよう。

「日本へは弥生時代に中国大陸から伝わったとされる[7]。秦による中国統一(紀元前221年)によって統制が厳しくなったことから、蚕種はそれ以前の時代に船で運ばれたと考えられており、日本が桑の生育に適していたこともあってかなり早い時期に伝来した[5]。養蚕の伝播経路については諸説ある。朝鮮半島への養蚕技術の伝播との比較などから、中国大陸(江南地方)から日本列島(北部九州)へ直接伝わったとする説[8] などがある。

福岡県の有田遺跡(紀元前200年頃)からは平絹が出土しているが、当時の中国の絹織物とは織り方が異なることから日本列島特有の絹織物が既にあったと考えられている[3]。記紀には仲哀天皇の4年に養蚕の記録がある[3]。」

仲哀天皇だと、4世紀くらいか。
邪馬台国は3世紀だ。ちょっと時期のずれがある。

ちなみに有田遺跡は立派な大規模遺跡で、弥生時代からもっと後まであるのだった。後でまた調べます。古いのは縄文時代にまでさかのぼります。
場所は福岡県で早良区。おお、これも九州北部だ!! 福岡市だから、糸島市や春日市とすぐ近く。



「ウェマーレ族のハイヌウェレの神話は次のようなものである。ココヤシの花から生まれたハイヌウェレ(「ココヤシの枝」の意)という少女は、様々な宝物を大便として排出することができた。あるとき、踊りを舞いながらその宝物を村人に配ったところ、村人たちは気味悪がって彼女を生き埋めにして殺してしまった。ハイヌウェレの父親は、掘り出した死体を切り刻んであちこちに埋めた。すると、彼女の死体からは様々な種類の芋が発生し、人々の主食となった[1]。」
要するにアジア全体で共通の神話のネタなのだ。
日本神話オオゲツヒメ保食神(ウケモチ)・ワクムスビにもハイヌウェレ型の説話が見られる(日本神話における食物起源神話を参照)[15][16]。しかし、日本神話においては、発生したのは宝物や芋類ではなく五穀である。よって、日本神話に挿入されたのは、中国南方部から日本に伝わった話ではないかと仮説されている[17]。『山海経』には、中国南部にある食物神・后稷の墓の周りには、穀物が自然に生じているとの記述がある。」

これは、日本に来た渡来人の多くは、中国南部だから当然であろう。
だいたい、稲の発祥の地は、主に中国南部だからだ。揚子江流域とかから、もうちょっと南あたりだ。

まあ、要するに「古事記」は自分の時代でものを書いているので、古事記よりも500年とか600年とか古い皇室の初期、天照大神の時代とはぜんぜん違っている。
実に、奈良時代なんだからなあ・・・・。

まあ、ルネッサンス時代の絵画が、ルネッサンス時代の洋服を聖母マリアに着せているのとなんか似てるwww

ほんと。「古事記」「日本書紀」ってインチキまみれで笑うwwww
意識してないと、嘘がばれるのに、無意識で書いてしまうんだろう。自分の時代の延長なのがばればれなのだ。

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