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プレ皇室研究: 方形周溝墓について調べてみた

プレ皇室研究で、方形周溝墓が九州から近畿に移動したという話があって、ちょっと調べてみました。

方形周溝墓は、平原遺跡でも使われていまして、四角くなっていて、周囲を溝堀りしてます。真ん中が低い目の小山みたいになっています。
1つで、1人のときもあれば、複数人のときもあります。
溝のところに、副葬品が埋まっていたり、もしかしたら殉教したとか、真ん中が親で、溝には小さい時に死んだ子供が埋まっていたりするかもしれません。

こちらの絵がわかりやすいかもです。

丁寧な説明です。論文が読みたい。


これは奈良県橿原市観音寺町のです。


唐古・鍵遺跡にもあるそうです。

方形でないパターンとしては、真ん中が円形のときもあって、円形周溝墓といわれます。これは、数はもうちょっと少な目みたいです。
こっちは前方後円墳の前の時代のデザインで、だんだんここから、前方後円墳になっていくようです。





これもわかりやすいです。
でも、いいかげん「何年前」じゃなくて、素直に西暦XXX年って書いてくれよって思います。

http://www.ako-hyg.ed.jp/bunkazai/unekokokan/pdf/tokubetuhaifu2015.pdf


なぜ、これを調べたかというと、これが2-3世紀のお墓で、九州北部から、畿内に移動し、最後は中部→関東と移動して消えていくからです。
これが、実は 大和朝廷=皇室の、権力と住居の移動に伴っているかららしいです。
皇室がいなくなってしまうと、九州北部で作るのはなくなってしまいました。
つまり、他の縄文系の住民は、このデザインがいいと思っていなかったからなわけです。風習が違うってことです。まして、先祖を祭るのですから、風習が、縄文人と渡来人でずいぶん違うっていうことです。

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