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プレ皇室研究: 南九州も探してみたよ。

ウガヤフキアエズとか、コノハナサクヤヒメとかは、だいたい南九州に遺跡が固まっているのだ。
まあ、明治時代とかに宮内庁が「ここにしときますねー」って、主に伝承とかから決めてしまったので、今の時代のような、科学的鑑定はまったくされていない。
そして、昔だからしょうがないけど、21世紀なんだから、再調査して
「ごめーん、ちごてたわーwww これはこっちねー」
って言わんのがいかんのだ。間違いは訂正してもらいたいもんだ。
まあ、御みやげ物屋さんたちはきっと困ると思うが・・・。インチキの場所に、神社とか、資料館とか建てちゃったよーってことになってまううーーーー。

1つめー、鹿児島県内にコノハナサクヤヒメの墓はあった(ってことになってる)。
端陵古墳
薩摩国で唯一の前方後円墳といわれている。54m(説)
→日本最古の前方後円墳は4世紀くらいなのに、紀元前のはずのコノハナサクヤヒメの墓が、前方後円墳wwwww お察しである。適当につけたんだろうなあ(苦笑)

2つめー、中陵 海幸彦の墓。
これは情報があまりなく、由来が書いてあるだけなので、よくわからない。


3つめ、山幸彦の墓 高屋山上陵
なんかこれも位置が「古事記」編纂時点でわからんようになっている、やばい場所。
「御陵は標高390mの神割岡の頂にある。陵形は円墳で、鳥居と柵で仕切られた御拝所の正面から約60m上の山頂に築かれているという。山陵全体の敷地面積は約53,000平方メートルある。」
一応、円墳とあるので形状は合格かな。でも無理くりん感は半端ないwww


4つめ これはウガヤフキアエズの墓とされる。吾平山上陵
鹿児島県鹿屋市吾平町上名
「「崩二西州之宮一、因葬二日向 吾平山上陵一」」とあるのだが、これも「日向国」とは書いておらんのだ。
日向峠の可能性はしつこくある。
「「鵜戸の窟」とも呼ばれており全国でも珍しい岩屋の陵で、この窟のある山は鵜戸山と呼ばれている。洞窟の中に高さ1.3m、周囲5mと、高さ0.9m、周囲3mの底が盤石で覆われている円形の塚が二つあるとされる。」
「宮内庁により、ウガヤフキアエズとその妻玉依姫命の御陵に治定されており、円形の塚の大きな方が前者の陵、小さな方が後者の陵であるといわれている。」
お、奥さんのも比定されています。
しかし、宮崎県が黙っておりませんwww
「宮崎県日南市にはウガヤフキアエズの生誕地とされる鵜戸神宮があり、その子である神武天皇は、皇后が日向国吾田邑の吾平津媛であり、ウガヤフキアエズの陵墓は宮崎県にあるとする反論が生じた」

鵜戸神宮

なんと、宮崎県にはウガヤフキアエズの生まれた土地として、立派な神社が建ってるー。


でもこれ、崇神天皇の時代だからもっと後だ。
まあ、よくある話で、立派な山や岩倉があったら、神様がいると原始宗教で思って、神社建ててしまうのだ。


これはあまり、プレ皇室と関係ないけど、何百年も町だったところらしい。


「古墳です」といいつつ、発掘の副葬品とか発表もないから、誰のだっていう特定ができないものばかりだ。

鏡でも出てきたら、中国製ならいつのか、日本のならいつのかで、時代がわかるのだが・・・。なんもないね。

ほぼ、明治政府、宮内庁の
「言い伝えで、名前似てますね」
っていうだけなのだ。
まあ、名前はそれなりに重要だけど、XXXが近いとか、XXXな特徴だといったら、あちこちの場所で同じ名前がついてしまう。
まさに「日向」日が当たる場所とか、高千穂 高い峰、山があるところなんて、まさに、そんなん47都道府県のどこにでもあるわい!って思うのばっかりだ。

見に行った人の写真ブログがあるので、リンクします。


いやー、実に奈良県民には見慣れた、ただの普通の円墳www 
中、掘らないとわからんよおー。

ウガヤフキアエズのは、泉みたいなのがあってきれいですね。
「小伊勢」といわれるようです。
これは、かっこいいですね。


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