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売るための日ユ同祖論、やめてもらいたいなあ。

ユダヤ人のある意味の孤独さと、黄色人種としてのすり寄りとか、うさんくさが満載なんだよなあ。
この前、ある日本人が「私が考えた」っていうてたやん?(明治くらいの人。ああ、名前が出てこない)
英ユ同祖論ってのもあって、これがまさに英国へのユダヤ人のすりよりなんだなあ・・・。

「日ユ同祖論(日猶同祖論、にちゆどうそろん)は、日本人の祖先が2700年前にアッシリア人に追放されたイスラエルの失われた十支族の一つとする説。但し、ユダヤ人(古代イスラエル人のうちのユダ族、ベニヤミン族、レビ族)ではなく、ユダヤ人と共通の先祖ヤコブを持つ兄弟民族である。英ユ同祖論など、ユダヤ人と他民族文化を関連づけて論じられるユダヤ人同祖論のひとつ[1]。」

「日ユ同祖論は、主に以下がある。

世界に散らばったイスラエルの失われた10支族の1支族(第9族エフライム族、第5族ガド族、または第7族イッサカル族)の数人が日本に移住したという説。
英ユ同祖論における、世界に散らばったイスラエルの失われた10支族の1支族であるという説。
イスラエルの失われた10支族は、日本に渡来したという説。
イスラエルの12部族(英語版)全部が、日本に来たという説。
古代日本人は、ユダヤ人の先祖であるという説(古代イスラエル12支族=ユダヤ民族(ユダ族、ベニヤミン族、レビ族の3族)との勘違いから派生した説)。
皇室、物部氏ヨセフ族、出雲神族(クナド大神族)レビ族、出雲族(龍蛇族)ダン族とナフタリ族はイスラエル支族であるという説。皇室が分家の武内宿祢の蘇我本家から養子を迎えたところ、皇室へ養子に行った蘇我本家の王は富家レビ族からの養子だったので皇室が祭司王も兼ねるようになり王権と祭司権の両方を担ったという。」

さーて、まともなユダヤ人本人に質問した動画があるので、みてみましょう。

ユダヤ人のあの高い帽子、18世紀なので、わりと新しいwww
埴輪は古墳時代。時間が1200年も差があるね。こういうのって、たまたまなんだよなあ・・・。それに髭のおじさんなんていくらでもいるし、髪型はみずらの崩れた感じなだけじゃん。

カゴメの歌についても全否定。文法おかしいし。

これも、完全否定。

https://www.youtube.com/watch?v=MN6py8l7U2Q

ついでに、DNAについても日ユ同祖論を否定。


悲しいかな、日ユ同祖論で売ってる本。これは小説。

まあ、「ダヴィンチコード」並みにインチキなのは、わかる。
(イルミナティ、もうただの趣味クラブ状態なのに、まるで世界を陰謀でなんとかしようとする・・・みたいなwwww)

ああー、茂木先生まで、こんなの出してるんだよなあ。
大丈夫か? 茂木先生、これは迷走してないのかなあ?

まあ、これはあるかもしれない。
「日ユ同祖論を支持しないが、日本民族とユダヤ民族の民族性は良く似ていると主張する論者もいる。代表的論者に、内村鑑三やベン・アミー・シロニーなどがいる。彼らのような立場は、日ユ同質論とでも呼ぶべきであろう。」


秦氏の話はあるのだが、こういうことでやっぱり「そうだ」とはいいにくい。
「「秦氏はネストリウス派キリスト教を信仰するユダヤ人だった」という説には年代から考え矛盾がある。ネストリウス派は431年のエフェソス公会議で「異端」とされ、その後、東方に布教活動を移したことが知られているが、中国へ伝来したのは7世紀、唐の太宗の時代にペルシア人司祭「阿羅本」らによって伝えられたころであり、秦氏の日本渡来より200〜300年あとのことである。」

『日本書紀』で応神天皇14年(283年)に百済より百二十県の人を率いて帰化したと記される弓月君[3]を秦氏の祖とする[4]。平安時代初期の815年に編纂された『新撰姓氏録』によれば「秦氏は、秦の始皇帝の末裔」という意味の記載があるが[5]、その真実性には疑問が呈せられており[6]、その出自は明らかではなく、これは秦氏自らが、権威を高めるために、王朝の名を借りたというのが定説になっている[7][8][9]。「弓月」の朝鮮語の音訓と訓読み(クンダル)が「百済」の和訓である「くだら」とほぼ同音であることから百済の系統とする説などがある[10]。

葛城襲津彦の支援によって日本へ渡ると、葛城氏の本拠地である葛城に住んだ[11]。大和国のみならず、山背国葛野郡(現在の京都市右京区太秦)、同紀伊郡(現在の京都市伏見区深草)や、河内国讃良郡(現在の大阪府寝屋川市太秦)、摂津国豊嶋郡、針間国(現在の兵庫県)、阿波国、伊予国など各地に土着し、土木や養蚕、機織などの技術を発揮して栄えた。丹波国桑田郡(現在の京都府亀岡市)では湿地帯の開拓などを行った。

秦氏の本拠地は山背国葛野郡太秦とされており、山背国においては桂川中流域、鴨川下流域を支配下におき、その発展に大きく寄与した。山背国愛宕郡(現在の京都市左京区、北区)の鴨川上流域を本拠地とした賀茂氏と関係が深かったとされる[12]。秦氏は松尾大社、伏見稲荷大社などを氏神として祀り、それらは賀茂氏の創建した賀茂神社とならび、山背国では創建が最古の神社となっており、秦氏の末裔はこれらの社家となったとの説もある。」

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%9B%E5%9F%8E%E8%A5%B2%E6%B4%A5%E5%BD%A6

4世紀から5世紀の人らしい。
だとすると、あきらかに秦氏のほうが先ですね。


陰謀論にはまりやすい人の、論文www




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