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おおざっぱなコラム まとめ~考古学編~

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考古学に関する自筆コンテンツと関連コンテンツをまとめました。 お楽しみください。
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#邪馬台国

邪馬台国研究: 三国時代の鏡がいっぱい出る場所はどこ?

これまで、プレ皇室研究をしてきて、前漢、後漢の鏡が皇室の先祖が持っている鏡だってことで説明してきました。 じゃあ、だいたい神武天皇(私の計算では、橿原宮での即位は181年)とちょっとかぶる時代の卑弥呼、188年から247年くらい(248年説もあり)に、中国製の鏡、しかももう後漢は滅びてしまったので、三国時代の鏡がいっぱい出ているところが、邪馬台国の候補地です。 なんせ、100枚もらったそうです。30枚とかはだれか、部下の幹部とか、近くの国の首長にプレゼントしたかもしれません

邪馬台国研究: 卑弥呼の前半生

卑弥呼は、邪馬台国の女王で、中国側が知ったときには、もうおばちゃんでありました。 独身で、弟が外向けの仕事や世話はしてくれて、侍女や部下が1000人で召使をしてくれて、死ぬときには100余人が一緒に殉死しました。 さて、在位を見ると 188年頃〜248年 とありまず。 2世紀終わりから、3世紀だいたい半ばまでです。 このときにはすでに神武天皇は東征していて、畿内に拠点を置いています。一応、今の奈良県橿原市です。 なんか、よく「邪馬台国が、大和朝廷になったんだー」みたいな

古代研究: 丸太船は山の木から作るから、集落は山の山腹にないとだめー!

わーーー。 盲点だったわー。 たしかにその通りだーーーー!! 海人だって、丸太船、木材ないと困るやん。 でも、山にいかないといけないし、山である程度成形してから、ちょっと軽くして、浜辺の集落に運んでから仕上げするほうが、賢いやん!! おおー、だったら、わりと人口がいたし、中国まで行き来していた邪馬台国は、山から大きな丸太を切ってこないとだめじゃんーーーー!! うーん、平野が多い、ひらぺったい九州より、四国のほうが山から立派な丸太を取って作れると思いますなあ。

プレ皇室研究: さすがに井手先生もわかってない点があるぞ。

この本は、原田大六先生の弟子?であった、井手先生が90歳をすぎて書かれたものであり、大変面白いことが書かれている。 北部九州の、三種の神器が出てくる遺跡は、皇室の先祖なのだという話だ。 実際、それで話をつなげると実に一番理屈があっているのだ。 そして、インチキでないのは、平原遺跡にはちゃんと副葬品で、皇室特有の三種の神器がでてくるのだ。 そして、この糸島市周辺で、他にも三種の神器が出てきている。 前にも書いたが、勾玉だけは日本固有の文化で、中国にはない。中国には、剣+鏡の

なかなかいい古墳や遺跡を発見

面白い古墳がいっぱいあるのだった。 な、なんといきなり韓国、朝鮮半島遺跡だー!! https://www.youtube.com/watch?v=MpxPI_1j1nI あるひとが「倭国大乱って、日本列島とは限らないよ。だって、当時は朝鮮半島南部にも日本人は住んでいたんだもん」っていっていた。 たしかに、古代の国境は今の国境とは限らないのだ!! これはちょっと面白いので、調査エリアを少し拡大することにしたのだ。 次は、皇室が三種の神器としてもっていた鏡と同じデザイン

九州邪馬台国説は滑稽。暗点化しているようだ(大分だけ除外)。

自分たちに合致しない邪馬台国の特徴は無視し、あってそうなところだけ採用するという作戦。 いやあ、お国自慢はしたいのはわかるが、いいかげん、〇×はちゃんとつけようよ。×の方が多いじゃん、九州派って。 前方後円墳 → 卑弥呼の時代にそんなデザインない。 カササギも馬もいたくせに、何を邪馬台国のふりをするのか。 そういえば、九州大学の先生が「私は近畿説」といっていて、九州なのに近畿説をいうのは、(まあ畿内説も間違いだと思うが)どっかの学派だけでわーわーいっている先生たちよりずっ

卑弥呼時代の日食を研究してみた

実は邪馬台国時代に日本では日食が2回くらいあったらしいのだ。 なお、天照大神の岩戸隠れを日食だと想定しているのだが、神武天皇よりさらに昔なので、紀元前700年とか、もし1年;2年で2倍カウントする場合でも、紀元前4世紀くらいじゃないかなあ? なので、下記の表には記載がない。 (下のリンク先より、引用しています。) 水色のが、邪馬台国のだ。 すごいなー。こっから指定したら、いつのときでもどこでも日食を確認できるのかなあ。 「ヒミコの日食 [図8]247年3月24日の皆

古代 絹のデータベースというのがある。(追記あり)

この研究、たぶんだいぶ古いのだが、何度も使われているので、ずっとこれが正しいみたいに思われている気がする。 邪馬台国の会から、引用しますが、地図にされたのがこの図です。 それで、 「邪馬台国は絹を産出できる」→「絹の出土が九州ばかりじゃねーか」→ じゃあ、邪馬台国は九州だよね。 ・・・という理屈なのですな。 実際畿内はあまり出てない。 昨日調べた結果、纏向遺跡で出ていたのをみつけた。 わー、専門家にこんなこといわれてるー。同じページから引用します。 「京都工芸繊維大

纏向遺跡から、絹製品がでていた。しかし、馬具も出ていたwww

私の推論では、畿内は邪馬台国ではないので、絹製品はでてこないんじゃない?と思っていたのですが、纏向遺跡に出ました(苦笑)。 引用します。 「尾崎花地区の巾着状絹製品きんちゃくじょうきぬせいひん(桜井市大字巻野内)  纒向遺跡では数少ない絹製品です。纒向遺跡第65次調査で検出された幅約4.8m、深さ1.7mの溝から出土したもので、布留0式期新相から布留1式期古相(3世紀後半から4世紀初め)のものと考えられています。天蚕によって作られた平織りの絹布で何かを包んだ後、撚りの浅い植

考古学メモ: 四国編(随時更新)

四国には古い遺跡がいっぱいあるのです。 そして、皇室関係も多いが、邪馬台国関係も多いのです。 おおー、茂木先生が、四国いったー!! やったーー!!  倭大國魂神社 引用します。太字のところが怪しいwww(太字は私がつけました)。 「倭大国魂神社は延喜式帳にも記載されている古社で、境内には「大国魂古墳」もあります。大国魂神社と言うのはその国の神様を祀る神社のことで、この神社のある 徳島は昔「倭の国」だと言われています。 この神社の神紋は「三つ柏」が使われていますが、その

四国は、邪馬台国の本命なのか? 絹と中国製鏡の出土があるかどうか?

正直言うと、私は関西出身なので、邪馬台国が畿内だととてもうれしい。 しかし、科学者なので、だめなもんはだめっていわないといけない。そして、確率的により正しいほうをみつけないといけない。 (2023/4/14 訂正がありました。) 私的には、下記のコラムで書いたように 九州・・・ありえない。邪馬台国に馬もかささぎもいたし、朱も取れないし、真珠も微妙じゃ。たぶんプレ皇室の遺跡と、何の関係もない普通の縄文人の遺跡だろう。吉野ケ里遺跡とかはそう。普通に縄文人の子孫なだけー。 畿

ミームと行動遺伝学で考える、邪馬台国の謎

4年ほど前から、邪馬台国に興味があり、暇暇に考えてました。 私はたぶん、邪馬台国東遷説なのかなと思っていましたが、ある日、Youtubeで「四国説」を見てから、「あれ? もしかしたら、まじに四国説じゃない?」と思うようになりました。 それで四国説を調べていたら、四国の地元研究家の方が、面白いことを言われていました。それを確認するために、調べていたら、もしかしたら、まじに四国(特に愛媛+徳島)じゃないかなと思い始めました。 まだ、確定してはいませんが、ちょっと研究の途中報告をし

三角縁神獣鏡は、卑弥呼がもらった鏡じゃないよー。卑弥呼の鏡を調べてみた!!

卑弥呼がもらった鏡っていうのを、調べてみました。100枚もらっているという話が魏志倭人伝に出てきます。 畿内派はよく、「三角縁神獣鏡が卑弥呼のもらった鏡」っていう人がいるみたいで、一生懸命説明してるけど、「それ、日本国産だから!」って話だ。 「中国の考古学者・王仲殊氏は、鏡の様式から「三角縁神獣鏡は、日本に渡った呉の鏡職人が日本で製作したもの」と判断している。そもそも作った年月を鏡に記す習慣も、魏ではなく呉のものである。 こういう話を書いている人もいる。 「「邪馬台国

淡路島 めっちゃええやん!!

読売ニュースをリンクします。 おおー、倭国大乱 2世紀末 のあたりらしいです。 まあ、銅鐸がどういう音かは、なかなか面白かったですが、なんと、ヒモまで出土しているらしい。 すごい。植物繊維なんて、あっという間に腐るのに、残っていたーーー!! 楽しみです。 邪馬台国四国説がなかなかいいと思っていますが、対岸の兵庫県と淡路島周辺だった可能性もありますね。 →兵庫県PR関係者、ここ大事だぞ。うまくPRに使うべきなのだ!!(笑) たしかに、小島をつなぎながら旅行すると、何日