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おおざっぱなコラム まとめ~考古学編~

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#忌部氏

プレ皇室研究: 忌部氏 さらに深堀。

ずーっと九州北部から、というか、天照大神の天岩戸のときから、皇室にくっついてきた忌部氏です。長いです。 それで、忌部氏について、気が付いたことがあったので、1つ書きます。 というのは、忌部氏は、占いがメインの仕事なんですが、太占(ふとまに)っていうのをしてます。これが本業なんですね。 「太占を含む骨卜(こつぼく)の文化は、日本列島には中国大陸または朝鮮半島から持ち込まれたとみられ[5]、弥生時代から平安時代にかけての遺跡で骨卜に使用した卜骨(ぼっこつ)が出土している[6]

鳴神社

ここは、和歌山に住んでいた忌部氏の神社なのだ。 でも忌部氏は、そもそも同一ルーツっていうより、持ち寄り的な一族もあるようだ。 「現在の祭神は次の3柱[1]。 速秋津彦命 (はやあきつひこのみこと) - 左殿(向かって右殿)。 速秋津姫命 (はやあきつひめのみこと) - 左殿(向かって右殿)。 天太玉命 (あめのふとだまのみこと) - 右殿(向かって左殿)。忌部氏祖神。 祭神2柱は水戸の神(港の神)である。古くは延享3年(1746年)の『南紀神社録』において、速秋津彦・速

徳島の神社が謎 敷島神社

これ、わりと新しいのですが、ちょっと変わってるのです。 うーむ、Wikiにはないので、HPをリンクして引用します。 「神社名 敷島神社(通称:西之宮) 設立 不明。旧 西宮八幡 明治42年に周辺の小社を合祀し、敷島神社と改称 所在地 徳島県吉野川市鴨島町敷地1339 御祭神 主祭神:応神天皇 神功天皇、神功天皇、仲哀天皇、仁徳天皇、玉依姫命、伊弉諾尊、伊弉冉尊、大山砥神、酒解子神、酒解神、大若子神、小若子神、木々能治神、事代主命、蛭子命、國紀別命、水波女神、大己貴神、天水沼

徳島の神社がやばい! 忌部神社

徳島の人が、「うちが本家じゃー」「こっちが元宮じゃー」とか言っている人がいて、ほんとかな? と思うので、しつこく1つずつ調べます。 今日は、忌部神社です。 徳島県の忌部神社 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%8C%E9%83%A8%E7%A5%9E%E7%A4%BE 「忌部神社(いんべじんじゃ)は、徳島県徳島市二軒屋町にある神社である。式内社(名神大社)の後継社で、旧社格は国幣中社、現在は神社本庁の別表神社。」 「明治25年(1

はー、なんでも阿波、疲れる・・・。

いやー、徳島県って・・・科学的検討っていうのが、ない人々なのだろうか? 邪馬台国で「いやー、畿内です」といって距離はむちゃくちゃだしっていう人がいますが、阿波の人も負けないぞwww 「韓国とは、畿内だ」とかいってる。 「 韓国とは,朝鮮半島を指す事ではなく,畿内を指して韓国と云ったことである。  「 大倭豊秋津島おほやまととよあきづしま を 生う みき。 亦また の 名な は 天あまつ 御虚空みそら 豊とよ 秋津あきつ 根別ねわけ と 謂い ふ。」と「国生み」に書かれる

プレ皇室研究: 徳島の神社の謎w

調べているばっかりで、さっぱり前に進まない私です(号泣)。 1つ調べるとやばいことがわかるんだもん。げろげろー。 さて、一応どっちかというと邪馬台国四国山上説をとる私ですが、ネットの徳島 阿波古事記マニア、うるせーって思います。 徳島は面白いところなのですが、じゃあ、彼ら「阿波のほうが大和より古いんじゃー」っていうのは、ちょっと違っています。 彼らがよくいう「徳島には、大和と同じ名前の神社があるんだぞー。そして、天の香具山の本家は阿波じゃー」といいます。 天の香具山が2

考古学メモ: 奈良県編(随時更新)

忌部氏の神社なのだ。 忌部氏は、すごく古い氏なのです。 奈良県橿原市に忌部町ってある。確か、子供のときに行ったことがあります。 すごい。ペルシャから来ているのは知っていたけど・・・けっこう立場が上の人でも来ていたのかな? すごいなー。 チャンネルあった。あとで見ます。 結果どうなったんかい? 橿原考古学研究所、がんばれ。予算とって、研究してくれ。 でも卑弥呼は、奈良県にはおらんからなwww わー、これすごい!! “盾の形をした銅の鏡”と長さ2mを超える「蛇行剣」が奈