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忌部氏 関東の忌部氏

土日に茨城県に、不動産物件を見に行ったのですが、茨城県は大和王権の古代における最北端です。(それより後は、もうちょっと奈良時代とかになって、有名なアテルイとかはまだ弥生時代とか古墳時代には出てこないのだ。まあ、例外があるかもしれないが。)

実は、神社が2つあって、立ち寄ろうかと思っていたのですが、体調が悪くてふらふらしていて、ついでに台風が来ていて、「ああー、もう早く帰りたい」と思ったので、さっさと帰ってきました。車窓観光だけですwww げんなり。いやー、水戸から東京駅までの特急、めちゃ快適ー。それにグリーン席にしたから、広かった! まだ、社内販売があった。まあ、駅のキオスクでおにぎりとプリンを買ったから、何も買わなかったけど。

さて、関東なんで、忌部氏が関東にいったっていう話を整理します。

神武2年に、神武天皇から忌部氏は四国に行けと命じられます。要するに開拓民ってかんじです。神武2年って、忌部氏が橿原宮を建てて即位式した、翌年です。うわあ。神武天皇、過酷www ブラック王様やんwww

命じられたのは、この人です。例によって引用します。いつもの引用まみれだ(苦笑)。

「天富命(あめのとみのみこと)は、太玉命の孫。神武東征において橿原宮を造営し、阿波国に続いて房総の開拓をした。」

孫じゃないと思うけどなあ・・・。7-8代目くらいじゃないかな?
だって天照大神の時代から、忌部氏は皇室にくっついているので、神武天皇の代数と同じくらいじゃないといけないから、7-8代かもしれない。ついでに孫だし。

「そして、天日鷲命の孫の阿波忌部を率いて肥沃な土地を求め、阿波国に遣わして穀・麻種を植え、その郡の名は麻殖となった。続いて更に肥沃な土地を求めて阿波忌部を分けて東国に率いて行き、麻・穀を播き殖え、良い麻が生育した国は総国と言われ、穀の木の生育したところをは結城郡と言われ、阿波忌部が住んだところは安房郡と言われた。やがてその地に祖父の太玉命を祀る社を建てた。現在の安房神社でありその神戸に斎部氏が在る。また、手置帆負命の孫は矛竿を造り、その末裔は今別れて讃岐の国に在り讃岐忌部氏として年毎に調庸の他に八百竿を奉るのは、その事のしるしである。」


で、まあ、関東にいくのですが、茨城じゃなくて千葉ですwww

「天富命が阿波忌部氏を率いて四国から房総半島に渡った際、最初に上陸した地とされるのが布良の阿由戸の浜です。上陸した天富命は海岸にそびえる2峰の海岸に近い男神山には祖神天太玉命(アメノフトダマノミコト)、女神山には御后天比理乃咩命(アメノヒリノメノミコト)を祀りました。」

ちなみに、整理すると
朝鮮半島やや北部→福岡県→奈良県(本家は今ここ。忌部町がある)→徳島県と香川に分かれて移住→千葉県に移住。
(それぞれに子孫は、だいたいそのまま残られています。)


この神社とか、小さいけどすごい。
近くに古墳があるようだ。天富命のお墓かもしれないって!!


うーん、古墳マップで鴨川市で探すが、ない!!


神社はある。
なんと神武元年の創建だ。
ええー、あれ? これじゃあ徳島に行く前に、千葉県にいってることになるのだが、いいのか?

「境内は、抜歯習俗を示す人骨多数を包含した洞窟遺跡の発見でも知られ、その遺跡(現在は埋没)は千葉県指定史跡に指定されている。また、社宝のうちで八稜鏡・円鏡などの文化財を伝世するほか、阿波忌部の開拓に因んだ祭礼が現在まで続けられている。」

あれ? Wikipedia、なかなかすごいことが書いてあるぞ(苦笑)。引用します。

「以上の一方、古代史料では安房郡司・安房神社神職など安房地方の在地関連人物で忌部の存在は知られず、むしろ安房地方に濃密に分布したのは後述する膳大伴部(かしわでのおおともべ)であったことが知られる[2][8][4]。そのため『古語拾遺』の説話の史実性は否定の向きが強く、『古語拾遺』自体が中臣氏との勢力争いの中で忌部氏の正統性と格差是正の目的で編纂されたものであるため[9]、安房への東遷説話は造作で東国(特に常総地方)の中臣氏勢力と対抗する目的があったと指摘する説がある[10]。また、数少ない安房関係人物として天平2年(730年)の「安房国義倉帳」に安房国司の目と見える忌部宿禰登理万里(忌部鳥麻呂か:中央から赴任した可能性が高い[11][2])の存在から関連づけたと推測する説や[2]、安房神社の祭祀・神戸に忌部氏の関与を仮定すればこれに阿波忌部が結びつけられたと推測する説[12][8][4]、そのほか古くから黒潮を通じて人々の交流があったこと(黒潮文化圏)が説話成立の背景にあると見る説などもある[13][14]。」

要するに、大和王権中央では負け組になっていた忌部氏が、藤原氏に対抗するために、話を盛っているっていうことになるのだ。
いやあ、大変であります。
(なんとなく、奈良の本家が沈黙しているのは、うざいから絡むのが嫌なのかもしれない・・・。もったいないが。)


関係ないけど、これ、千葉県の古墳としては面白い。

あれ? これは場所が2つあるようだ。
ちなみにあまり知られていないが、藤原鎌足の娘になるのだ。負けた皇子のお妃はつらいなあ。勝っていたら、皇后になれたかもしれないのにね。かわいそう。

こじんまりしたお墓です。まあ、地元には愛されていていいかんじです。


おいおい、またこれも違うやん。
現地の国造っぽいし、男性っぽいぞ。もおー。被葬者違いすぎて、笑うwww

形状 前方後円墳
規模 墳丘長約144m
埋葬施設 無袖式横穴式石室
出土品 二体の人骨・青銅鏡・鉄直刀2・鉄鎌1・鉄角棒1・長刀1
築造時期 5世紀中頃
被葬者 (推定)須恵国造首長墓



というわけで、なぜか最後は弘文天皇の后で、藤原鎌足の娘のところにいってしまいましたが、まあ、しょうがない(苦笑) だって古墳ありすぎなんだもん!!

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