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おおざっぱなコラム まとめ~考古学編~

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考古学に関する自筆コンテンツと関連コンテンツをまとめました。 お楽しみください。
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#天照大神

プレ皇室研究: やばい。夜須 微妙になったぞ。

天照大神の住むところが、夜須と思っていたのだが、あいたたな問題がでてきました。 というのは、仲哀天皇のときに、「安し」といったから、「安」って呼んだとあって、仲哀天皇のときじゃあ、新しすぎるのだ。 うーん・・・こまったなあ。 紀元前の時に、朝倉がなんと呼ばれていたか、わからん。 とはいえ、古事記編纂時期に「安」ってなっていたら、まあいいかという話もあるので、仲哀天皇ならまあいいか。 というのも、天照大神もどの時点で「太陽神」になったのかという話があるし、「高天原」を名付けた

プレ皇室研究: 朝倉研究 続き

天照大神が、九州北部にいたとして、どんな条件が揃えば、それは天照大神がいたといえるのでしょうか? 1) 天の香具山みたいな名前の山がある。 2) 金山がどこか近くにあるかもしれない。銅や鉄が取れるとよいが、古代の紀元前だとたたら製鉄できてないらしい。銅くらいで我慢か?  まあ、白銅だろうなあ・・・。 3) 天の安河という河が流れている。河原があって、人が集まれる。 4) 墓は、甕棺か、ドルメンタイプ。 5) 墓からは絶対に鏡がでないといけない。できれば、国産鏡を含むこと。

プレ皇室研究: 出雲との時代関係は?

先日来、皇室の先祖の時代の研究をしていますが、私の結論では、天照大神の時代がだいたい、紀元前200-150年あたりと推定しています。 (要するに前漢の始まりと同じくらいまでは、確認できる。) 神武天皇の東征は、紀元150年とかあたりかなあと。倭国大乱のちょっと前か、大乱の途中くらいを想定。理由は気候変動とそれによる食料不足。 じゃあ、天照大神たちと出雲の国譲りとしては、いつくらいなのか? 荒神谷遺跡というのが、出雲では一番有名なので、いつものようにWikiをチェックしてみ

プレ皇室研究: 古代鏡はいつから?

さて、皇室の先祖について研究していますが、日本の神様のメインは、ご承知のように天照大神です。 そして、天照大神の形見というか、代理のものは「鏡」です。 ”古事記”にも、天岩戸で、「天照大神が岩戸に隠れたので、鏡を飾った」という話があって、このときに「榊の木に、鏡と勾玉を吊るした」という描写があります。 では、高天原にいた天照大神ですが、これが日本国内か、海外かはわかりませんが、とりあえず「鏡」が出ているのと、「勾玉」があります。 勾玉は、日本固有のデザインであって、中国には

プレ皇室研究: 天皇家の祖先は伊都国王だった!(たぶんw)

前に原田大六先生と平原遺跡について説明しました。 原田先生によると、平原遺跡は玉依姫の墓と推測されていて、古代の太陽信仰の女王の墓と推測されます。 しかも、三種の神器も出ていて、国宝になった鏡は、まさに八咫鏡といえるものでしょう。 三種の神器を持っていて、かつ、太陽神信仰で女性(女王または巫女)というのは、卑弥呼ではなくて、文化系統でいうと天照大神(またはその娘関係)であるってことです。 そして、それが伊都国内であり、伊都国の女王となると、まさに灯台下暗しですが、天照大

八倉比賣神社の遺跡は天照大神でも、卑弥呼の墓でもない。

おおー、この人の解説、面白いーーー!! ※ リンクしておいた動画が次々と消えています。たぶん内容が間違っているので取り下げたのか、うそばかりの動画チャンネルでBANされたのかもです。とりあえず、すごい消されたのが多いということでそのままにしておきます。 めずらしくほとんど書かれてない。えー。 「由緒は不詳だが、平安時代の『延喜式』神名帳の美馬郡条にある[倭大国玉神大国敷神社二座]に比定される古社で、大国魂命・大己貴命を主祭神とする。その御神像は、高さ一尺ほどの剣を杖きて立