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教会をやめたあとのことを考えておく

「教会をやめようかな」と思って、いろいろ考えているわけですが。
教会をやめるかどうかを考えるのって、「教会をやめた場合の自分」と「今の教会にとどまる場合の自分」を比較してどちらがよいのか、ということでもあると思うので、「実際にやめたとしたら、そのあとの自分はどうするのだろう」を考えてみます。

私の場合、「教会をやめようかな」とは思っていても、「キリスト・イェスから離れよう」とは思っていないです。
今の教会を離れることがあるとしても。
キリスト教をやめることがあるとしても。
キリスト・イェスとの付き合いをやめることはない。

ただ、自分は信仰者の群れの中にいないとやばいとは思うんですね。一人で正統信仰を守っていけるとは思っていなくて。
内村鑑三が既存教会を批判して、教会というかたちではない集会(無教会)をつくったのはありだと思うけど。ジョセフ・スミスみたいに「既存教会はすべて間違っている、とイェスが私に啓示した」ってモルモン教を作ってしまうようなのは、ねぇ。
でも私が既存教会を離れて一人で聖書を読むようになった場合、ジョセフ・スミスになりそうな気がするんですよ。

だからまあ、今の教会をやめるとしたら、そのあとは「他の教会に移る」というのがたぶん一番現実的。
今の時点で選択肢をせばめることはないと思うので、「どこの教会に移るというのでなく、一人で信仰を守っていく」も排除しないけど、たぶんそれは私には難しい。

じゃあ、今いるバプテスト主義の範囲で次の教会を探すのか。それとも出身の福音派で探すのか。
こだわらずにプロテスタントの範囲で探すのか。
さらにひろげて西方教会の範囲内で探すのか。たぶんこの辺までなら、行けないことはないと思う。カトリック教会だと改宗ということになってくるなど、ハードルはあるけど。
あと、キリストの幕屋も共感・賛同するところが少なくない。

ただいずれにしても、自宅から通える範囲で、しばらくおじゃましてみて、どういう教団教派なのかどういう教会なのか、どういう人たちなのか、ある程度知ってからじゃないとね。
でも、行ったことのない教会にお邪魔するのって、けっこうなハードルよね。まして「私はここで信仰を守っていこう」と思えるほど通うとか。

今までに教会を移った時って、「この教会に移ろう」っていう理由が先にあったんです。転居先の近くで教会を探したとか、ある教会の人たちとのつながりが先にあって何度かお邪魔するようになったとかが、先だった。それでも籍を移すかについては、考えるのにかなり精神的に消耗した。
今回は「この教会に移ろう」より先に「今の教会をやめたいなぁ、じゃあ移る先を探すかな」になるわけで。

たいへんそうだよなぁ。
めんどくさそうだよなぁ。
疲れそうだよなぁ。

既存の教会から独立して自分でやっていく、という手もないことはないんだよな、と思っています。現実的かはともかく。
というのも、信頼するある牧師からしばらく前に「自分で始めてしまうというのはどうです?」と言われたことがあって。その時は「無理無理!」てそれ以上は話をふくらませもしなかったのだけど。
でもたとえばJTJのようなところでちゃんと学んだうえで、「ひとり教会」として信仰を守っていくとか(JTJを挙げたのは、フルタイム献身の召命を前提としていないから)
たとえるなら、「教会を離れて一人で」は素人DIYで小屋を建てること、「ひとり教会」は建築をちゃんと勉強してから小屋を建てること。どちらも一人で建てるとして、どちらがしっかりしたものを建てられるかという。
でもこれは、たいへんなうえに時間もお金もそれなり。

こうして選択肢を洗い出してみると、「今の教会に残るのと、どっちがしんどいかなぁ」とは思う。
・今の教会をやめない。
・他の教会にうつる。
・ひとりでやっていく。
・「ひとり教会」を目指す。
それぞれ、しんどさの種類が違うから難しい。

ああ、もうひとつ大事なことがあった。
家内も親の代からのクリスチャンで、福音派で出会って結婚して、一緒にバプテスト主義に移ってきて、でも今は長期で教会をお休み中なんです。
どこかで近いうちに、軽く相談してみないとだなと。

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