703号室から和歌山の夜空を眺めること。僕の4年間はここからスタートした。

高校を卒業後、僕は和歌山大学経済学部に進学した。

もともとは佐賀大学か長崎大学の経済学部への進学を希望していたが、
18歳で親元を離れて、よくわからない九州に行くのは危険だと判断した。

そもそも九州に行きたかったのは、種子島(当時、新海誠監督の『秒速5センチメートル』にドハマりしていた)に行けば、自分の欲しいものが見つかるかもしれない。という謎すぎる動機だった。

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国立大学かつ地元の近畿圏内であれば、学歴的にも良いし、京都に帰りたいときに帰れるし、九州にはバイトでお金を貯めていけばいいか、というところで着地した。

そんなこんなで2014年4月から、僕の和歌山での大学生活がスタートする。

僕は大学から徒歩5分にある、民間企業が運営する大学生寮で暮らしていた。

寮での出来事は沢山ありすぎて、今回ここで全てを語ることはできない。
当時、友人たちと爆笑したネタから、今はもうぼんやりとしか覚えていないことまで、大小様々な思い出たちがそこにはある。

でも、その中でも一番最初の思い出は、今でもはっきりと覚えている。

あれは入学式の3日前、父と京都の実家から車で引っ越しに来た日だ。
寮はレオパレスみたいな感じで、ベットやらデスクやら最低限の家具は揃っているタイプだったから、引っ越しは衣類など、ほとんど自家用車で積める程度だった。

朝から父と2人で京都を出発し、名神から近畿道に乗り、阪和道を駆け抜けた。

岸和田SAまで休む場所がないルートだから、ずっと音楽をかけながら、父とたわいもないこれからの大学生活についてを話していた。

2時間かけて和歌山に到着し、寮長に挨拶を済ませてから、持ってきた荷物を部屋に運び込む。

寮は10階建てのマンションで、僕の部屋は703号室だった。

駐車場から7階までを、エレベーターで行ったり来たり。
ほとんどが衣類だったけど、高校卒業祝いに買ってもらったTVやPS3、TV台やカラーボックスのせいで、かなり重労働だった。

途中で昼飯に出て、そのまま市内を散策したり。
引っ越しも休み休みに進めていたら、なんだかんだですぐに夜になってしまった。

最後にカーテンを取り付けて、軽く掃除機をかける頃には20時近くになっていた。
父は明日は仕事だから、もうそろそろ京都に帰らなくてはいけない。

「今日は色々と手伝ってくれてありがとう。あとは自分で整理しておくよ」
と、僕は言う。

「まあ、これから頑張って自分で生きていってくれい。なんかあったら京都に帰ってくればいい」
父はぶっきらぼうにそう言った。

「ありがとう」

「じゃあそろそろ帰るわ」

父はそう言って車に乗って京都に帰って行った。

父を見送った後、僕はベランダに出て外の景色を眺めた。
それは人生で初めて見る和歌山の夜の景色だった。

別に特別な何かがあるわけではない。
目の前に大学があって、夜空には京都よりほんの少し星が見えるくらいだ。

2時間あれば行き来できる距離だけれど、
そこは今まで生きてきた場所とはやっぱり違う感じがした。

和歌山の夜空を眺めながら
「今日からここで生きていくのか」
と僕は思った。

不思議な感じだ。
昨日までは18年間も京都に住んでいたのに。
地方の大学に進学した友達も、同じことを思ってるのかな。

なんだかとてもフワフワした気持ちで、僕はしばらくの間落ち着かなかった。
だけど、風呂に入ると今日1日の疲れが出てきて、すぐにベットに潜り込んだ。

心地よい疲労が瞼をそっと撫でる。

これから始まる大学生活に思いを馳せながら、僕は和歌山で眠りについた。




この文章を書いている24歳になった僕は、18歳の彼が4年後、東京でエンターテインメント企業に就職し、その1年後起業のために京都に帰ってくる、ということを知っている。

彼がそのことを知ったらなんて言うだろうか。
「いやいや、行くとすれば九州でしょ」
なんて、彼ならたぶん言いそうだ。

24歳の僕にはもう叶わないけれど、
願わくば、もう一度703号室から夜空を眺めてみたい。

あの頃とは違う思いを抱きながら、それでもきっと、あの頃と変わらない夜空が見えるのだろう。

そんなささやかな願いを1つ、僕は今も大切にしている。



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