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大学生活を振り返る

初めに

この春大学を卒業しました。これでいよいよ社会人!というわけではなく、私は大学院という選択をしました。いわゆるモラトリアムの延長ってやつです。それが7月から始まるのですが、今は4月。なのでご想像の通り私は時間を持て余しています。という訳で、この大学4年間を振り返るnoteなんてものを書いてみました。少し恥ずかしいですが、読んでみてください。

大学1年生〜3年生

よく聞く話でしょうが、僕はコロナの影響を受けた世代です。受けてない世代などいませんが。大学に入る年にコロナが流行り出してしまったのでカレッジライフなんていうものはほとんどなかったです。1/4くらいは自分のせいでもありますが。そんな僕の大学1年〜3年を振り返ります。


サッカーコーチ

高校を卒業してすぐに通っていた中学でサッカーのコーチを始めました。中学3年生の時に、自分を教えてくれていたコーチに憧れて、その時からコーチをやりたいと思っていた僕にとっては念願でした。コロナでだいぶ出遅れてしまいましたが、先輩に囲まれていた1、2年時もトップになった3年時も思い描いていたコーチライフが楽しめたと思います。

とはいえ、やはりコロナは恨めしかったです。練習はマスク着用なので夏場はコーチなのに倒れそうになるし(時期によっては生徒も着用)、合宿はほとんど開催できず、活動もストップしたりと不自由が多かったです。特に合宿はもっとやりたかったですね。唯一行けた年に、中高で通っていた宿舎でお酒を飲んだ時の背徳感は忘れられないだけに、余計コーチとしての合宿を楽しみたかったです。

それでもやっぱりコーチは楽しかった。思い出補正を抜きにしても。特に3年間を共にした生徒は大体真面目で、みんないい奴だった。彼らのおかげで僕の3年間は彩られました。本当にありがとう。生徒とお酒を飲みに行くのが夢なんだよーと語る先生・コーチの言っていることが痛いほど分かりました。あと、自分がしんどい・サボりたい時に、彼らにこの姿を見せられるか?は結構自分の原動力になります。みんな飲みに行こうね。誰も読んでないだろうけど。

あとサッカーを勉強したのもこの時期。いかに自分がわかっているつもりだったか。これに気づけたことはすごく良いことだった。テンプレがいかに大切なのか、オリジナリティの脆さなど、きっと生きていく上で自分を支えてくれるでしょう。そんなことないか。別にそういう普遍的な価値とかはどうでもよくて、ただサッカーをこんなに知らない!でも知っていくの楽しい!という3年間が充実していました。ちなみにサッカーは全然わからないままコーチは引退しました。


サークルで一番楽しかった合宿

サッカーサークル

僕は新歓を受けられなかった/受けにいかなかったので、体験も自分が所属したサークルだけでしたが、確実にここでよかったなと思えます。中学〜大学までエスカレーターで、サッカー部だったこともあり、同期10人くらいと先輩が10人くらいいるところに入ったのでめちゃめちゃホームだったし、何よりここで出会った人はみんなすごく良いやつで、本当に同期に苦手な人がいない環境でした。これはすごい。

自分が新歓をする時はお金がしんどかったり、流石にちょっとはいざこざしましたが、総じて充実した代だったと思います。サッカーも飲みも雰囲気が合うというのが大事で、それを作り上げてくれた幹事長とキャプテンに感謝深謝。もちろん他の幹部と同期もでーす。(恥ずかしいので伸ばし棒をつけました)

これまで中高一貫校に通っていた僕にとって、新しい出会いは良くも悪くも刺激的で、文句を垂れていたこともありましたが、それも全て収穫。何よりあんなに楽しい「合宿」は初めて!高校生の時は苦痛でした。みんな飲みに行こうね。流石に1人くらいは読んでいて欲しい。

大学3年生〜4年生

ISSUE FOOTBALL

こちら私が誘っていただいた団体。元々コーチをやっていた時に一般社団法人FiCという団体が運営するサッカーコーチコミュニティFiCに在籍していました。そのFiCから派生して生まれたサッカー×社会課題を掲げ活動をメインにした団体がこのISSUE FOOTBALLなのですが、よく分からなかったらHPかインスタをチェック!

元々知っている方々の中に混ぜてもらったので、やりやすかったし、物珍しいことをやっているね、という声も頂けました。ただやはり難しさもたくさん。楽しむ気持ちと原点を忘れず邁進していきます。


SHIBUYA CITY FCインターン

ここから僕の人生が大きく動き始めました(大袈裟)。
簡単に経緯を説明すると
コーチを3年の夏で辞める(見ていた子達が引退したので)
→スポーツビジネスのインターンやりたいなー
→SHIBUYA CITY FCってとこが募集してる!
→戸田和幸が(当時の)監督、地元渋谷、ピッチ外の取り組みも面白そう
→応募!採用!あざす!
みたいな感じです。この選択は本当に正解だったなと強く実感します。

まず、半社会人みたいな立場で、多くの大人と出会う中でまず自分がいかに何もできないのかを痛感しました。こんなに吃るのかお前!という。1年半近く経ち、今では社会人の皆様とお話しするのもだいぶ慣れてきました。まだ緊張することもたくさんありますが。

あとは、パソコン使うのが上手くなったり、資料が少しだけ作れるようになったりもしましたが、それより何より、カッコ良い大人の皆さんと出会うことができたのが1番大きいです。社員の方々はみんな特徴も人柄も違くて、仕事の仕方も強みも違うけれど、それぞれがそれぞれなりに輝いていて、めちゃめちゃ参考になります。本当に。こなす仕事の量、効率、センス、社交力。それらを根底で支えているのは(きっと)クラブに対する熱意と積み重ねてきた経験なんだなーと。1を100に近づけていく段階でクラブに関わらせてもらっている身として、0を1にした社員の方々は心から尊敬しているし、そういう人とこの歳で出会えたことが何より。感謝深謝。

スポーツ界で生きていくのは大変だけど不可能じゃないよ、というのを示してくれているのもすごく心強いです。


大学院

よく聞かれますが、私が受けた大学院はいわゆる受験ではなく、就活っぽい感じでした。用意するのは、履歴書・志望理由エッセイ・推薦状・TOEFLのスコア・成績証明書となっております。

無事受かったので、終わりよければというやつなのですが、これが一番病みそうになった原因でした。しかもほぼ全て自分の不甲斐なさによって引き起こされる不都合が原因という。だからこそ自己嫌悪を引き起こしたのですが。

まず準備が遅かった。候補を調べるのもギリギリでしたが、それぞれの締め切りに合わせて書類を準備するのも間に合わず、予定よりだいぶ少ない数の願書を出すこととなりました。

自分で目標を決めて、そこから逆算して計画的に予定を組んでみたいなことは得意だと思い込んでいたのですが、自分のキャラに自分でも惑わされていたみたいで、実際は全然そんなことはなかったです。それに気付けつつ、受かって本当によかったね。

ちなみにこんなところに行きますよ、という



今、3ヶ月のニート

挫折っぽい画像

挫折したつもり

と、ここまでの4年間を振り返り同期のほぼみんなが入社式を迎え、人によっては遠くへ越していく中、私は近くのおしゃれなカフェなんかでこの記事を書いている訳です。(注文するときにとても緊張したことは内緒)

この前旅行をした時に、運転席と助手席の親友A君と親友B君が「挫折経験について」話していました。「お前はある?」と聞かれた時、「いやー挫折って捉え方だよね」と答えつつ、僕はこの一年は結構挫折だったなーとも思いましたしそう答えましたが、上手く形にはなりませんでした。

原因はきっと明確な挫折っぽい出来事がなかったからだと思うのですが、その上で、この一年で自分が挫折したなと感じたのはきっと上手くいかないことが多かった、不安になることが多かったからだと思います。インターンの仕事はなかなかうまくいかず、社会人を目の前にすると緊張する上に、大学院は一向に決まらない。横では同期が続々と来年の進路が決まっていく中、あーどうするんだ→いや考えても仕方ない、という思考に幾晩ハマったか数え切れません。

結果としてインターンは今では楽しめるようになったし、大学院も無事決まったので全くもって挫折っぽくないのですが、心労があったんだよということです。そしてこの心労は僕の弱さを僕に突きつけてくれました。

「お前はいつも先延ばしだな」
「相変わらず自意識過剰だ」
「プライドが高くて傷つくのを避ける」
「明確目標を立てて自分で考えて行動、できそうで全然できないじゃん」

みたいな。この経験はすごくしんどかった、けど間違いなく活きる。そう信じます。この性質はきっと簡単には変わらない、というか2個目とか3個目は一生変わらないだろうけれど、それで良いとオードリーの若林も言っていたので。


本当の挫折はきっとこの先にある

けれど、こんなのはきっと挫折ではなく、よくあるちょっと大変だった時期の一つなだけなのだろうと思うし、きっとこういった経験を多くの人が既にしているんだろうなと思います。

この前、インターン先で「一回社会でボコボコにされる経験」という話が社員さんの中で出ました。社員さんにはありがたいことに「ヒロは器用にこなしちゃってあんまり挫折はないだろうから、それが逆に良くないかも」と言われました。心の中で「いやつい最近までボコボコにされたつもりでした!」と思いつつ、「きっとこんなものではないのだろう」とグッとなってしまいました。

でもきっとそれはそう。というかもはやどちらもで良い。来るべき時にそういう機会は訪れるだろうし、もしかしたら来ないかもしれない。
ただ、それが来た時にそれを受け入れられる自分ではありたいなと思う。


「こうすれば良かった」にしたくないよ

そして今。大学院まで3ヶ月ある中でこの時間は完全に僕の自由となっています。まさにフリーダム。もちろん楽しく過ごせば良いじゃんとは思うのですが、ここで思い出したのがコロナ禍初期の時期でした。

世間も自分もまだコロナに慣れておらず、ステイホームで何をすれば良いかいまいちわからなかった時期を僕は案の定何もせずに過ごしました。もちろんしょうがなかった部分はあると思うのですが、やはりあの時にもっと色々始めたりしてればなーと思うのです。少なくとも自分が使いたいように使える時間がそこにあったのに、それを今のためでも将来のためでもなく、なんとなく過ごしちゃったことは勿体無かったと思っています。

将来のためにひたすら学ぶ!インプット!自己投資!タイムイズマネー!みたいなのはいやです。ただ、先の自分が振り返った時に、「あぁ我ながら良い3ヶ月を過ごせたな」と思えるくらいには楽しみたいし、有意義に過ごしたいなーと思っています。なので、おしゃれなカフェにも挑戦しちゃうし、友達を呼び出して一緒に勉強もしちゃう。

人生において「こうすればよかった」は山ほどあって、きっとそれは一生なくならないけれど、「こうすればもっとよかったけど、その時の最善は尽くしたわ」と思えるようにはありたいです。そんな3ヶ月を頑張って過ごすぞ。


あとがき

自分語りをしてしまいました。ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。感想くれたらとても喜びます。写真とか上手く差し込めるようになりたい。


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