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【用語集】〈自己完結社会〉の成立

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このマガジンでは、筆者が2021年に刊行した『〈自己完結社会〉の成立――環境哲学と現代人間学のための思想的試み(上巻/下巻)』(農林統計出版)に登場する用語(キーワード)について… もっと読む
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【用語集】『〈自己完結社会〉の成立』テーマ別索引

 このページでは、筆者が2021年に刊行した『〈自己完結社会〉の成立――環境哲学と現代人間学…

〈ユーザー〉とはなにか――【用語集】『〈自己完結社会〉の成立』

〈ユーザー〉 【ゆーざー】 〈社会的装置〉に依存する人々の〈生〉の様式を、ウェブ上のサー…

〈生〉とはなにか――【用語集】『〈自己完結社会〉の成立』

〈生〉 【せい】 われわれの生を、「〈生〉の分析」(本書の第二のアプローチ)――人間存在…

「〈生〉の分析」とはなにか――【用語集】『〈自己完結社会〉の成立』

「〈生〉の分析」 【せいのぶんせき】 本書が、人間存在の本質とは何かを明らかにするために…

「人間的〈生〉」とはなにか――【用語集】『〈自己完結社会〉の成立』

「人間的〈生〉」 【にんげんてきせい】 「〈生〉の分析」(第二のアプローチ)から理解され…

〈生活世界〉とはなにか――【用語集】『〈自己完結社会〉の成立』

〈生活世界〉 【せいかつせかい】 人間存在が〈生存〉、〈現実存在〉、〈継承〉からなる「〈…

「精神としての生活」とはなにか――【用語集】『〈自己完結社会〉の成立』

「精神としての生活」 【せいしんとしてのせいかつ】 「人間的〈生〉」の実践を“生活”と呼ぶとき、衣食住などの必要からむしろ離れるからこそ実践できる、例えば観照活動や言論活動や自己実現(自己表現)などの側面を強調したもの。  西洋哲学の人間観においては、古くはアリストテレス、近代ではK・マルクスやH・アレントに至るまで、〈生存〉と結びついた「暮らしとしての生活」は軽視され、そこから解放されたところにある「精神としての生活」こそが〈生〉の本質であると考えられる傾向があった。

「〈生〉の三契機」とはなにか――【用語集】『〈自己完結社会〉の成立』

「〈生〉の三契機」 【せいのさんけいき】 人間存在が“生きる”と表現する営為の根幹にある…

「〈生活世界〉の空洞化」とはなにか――【用語集】『〈自己完結社会〉の成立』

「〈生活世界〉の空洞化」 【せいかつせかいのくうどうか】 「〈生〉の三契機」の実現を〈社…

「〈ユーザー〉としての生」とはなにか――【用語集】『〈自己完結社会〉の成立』

「〈ユーザー〉としての生」 【ゆーざーとしてのせい】 「〈生〉の三契機」の実現を「市場経…

〈存在の連なり〉とはなにか――【用語集】『〈自己完結社会〉の成立』

〈存在の連なり〉 【そんざいのつらなり】 人間の存在様式とは、決して個体としての自己に完…

〈存在の強度〉とはなにか――【用語集】『〈自己完結社会〉の成立』

〈存在の強度〉 【そんざいのきょうど】 人々が自らの〈生〉を実感のあるものとして掌握し、…

「担い手としての生」とはなにか――【用語集】『〈自己完結社会〉の成立』

「担い手としての生」 【にないてとしてのせい】 「〈共同〉のための作法や知恵」としての〈…

「不介入の倫理」とはなにか――【用語集】『〈自己完結社会〉の成立』

「不介入の倫理」 【ふかいにゅうのりんり】 「〈ユーザー〉としての生」が拡大した社会において人々が行使している現実的な倫理の形で、他者に対する配慮の結果として、互いの〈生〉に干渉することを積極的に忌避する態度のこと。  社会学では、都市社会で一期一会に遭遇する人々が示すよそよそしさのことを指して「儀礼的(市民的)無関心」(civil inattention)と呼ぶが、「不介入の倫理」は、互いに重苦しい〈共同〉の機会がもたらされぬよう、相手を気遣い、配慮した結果として出現する