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京島の10月|2. 脚立越しの特等席

EXPOの1ヶ月間の会期中、火・水・木曜日は定休日とされている。とはいえ、街中に置かれた作品や、営業しているお店の一角で催されている展示などは、文字通り「ふつう」の日にも楽しむことができる。

特に会期中は毎日18時から上演される「夕刻のヴァイオリン弾き」には、きっと誰もが心を掴まれるだろう。ハーブティー、もつ煮込み、裁縫、惣菜。そんな日常を彩るお店が並ぶ細い路地に、今日という日を祝福するかのような時報を求めて人が集まり、長屋の2階を見上げるのだ。

「昨日は腕相撲が盛り上がっていたらしいね」「あの侍みたいな方、一体なにもの?」。そんな会話をしたり耳をすませたりするうち、ガラリと窓が開く。すっと窓辺に腰掛け、ヴァイオリンの演奏が始まる。

『 三角長屋の窓辺から 6時のお知らせ』
『今日もたくさん遊んだかい? おやすみなさい』

時間にしたら、たった5分のパフォーマンス。だが、車1台も通ればいっぱいになる路地がしんと静まり、各々が目を閉じたり体を揺らしたり、スマホをかざしたりしながら、この幸せな空間に身を委ねるのだ。ここでもまた、買い物帰りの自転車が不安なハンドル捌きで通り抜けたり、ランドセルを背負った小学生がスニーカーを光らせたりしている。変化に気づいた子供たちが顔を向ける間にも、演奏は続いていく——。

今日は10月最初の月曜日。EXPOの初日かつ凸工所の営業日でもあった昨日とは変わって、筆者は自宅でのデスクワークや電車に乗って違う街へ行き、何ら京島とは関係しないであろう取材に勤しんだ。

街で暮らし、場を切り盛りする一方で、ただ単に住む場所としても活用しているわけである。2023年2月、京島に引っ越してきてすぐの頃は、街の出来事にほとんど関われないことに、とてもやきもきしていた。EXPO期間に限らずとも、毎週のようにどこかでイベントが催されているこの街で、自宅にこもってインターネット越しに、時には顔さえ見えない相手と仕事をすることの違和感は、日に日に大きくなっていった。

今はこうして、曲がりなりにも場所を持って人と関われることの喜びを覚え始めているが、それでも時にはすれ違う人との会話を避けてしまったり、まったく毛色の違う仕事をしたり、家にただ籠ってしまうような日もある。暮らしはグラデーショナルに広がっており、いつも楽しいことや社会と接しているわけではなく、不意の孤独が訪れることもある。

それでも、18時に集まって『今日も1日遊んだね』と、そんな歌声を聞いていると、なにか許されたような気分になる。人と会ったり、会わなかったり。自分のことをしたり、街のことをしたり。割り切れない、すっきりできない日々でも、その音色を聞いている一瞬だけは少なくとも、遊べているのかと、心がほぐれていく。

京島の夜は早い。商店街の多くのお店は夕方過ぎにシャッターを下ろし、夜中に明かりの灯るチェーン店も少ない。引っ越してすぐはその違いに戸惑い、夜をどう過ごしたものかと戸惑ったものだが、この静けさが生む光景が、ヴァイオリンの音色とともに、深く心に染みていく。

今日の演奏は、引っ越してから知り合った友人の依頼で、撮影用の脚立を支えながらの鑑賞となった。去年の自分には見えなかった、ある意味特別なアングルだ。

このnoteは「すみだ向島EXPO2023」内の企画、日誌「京島の10月」として、淺野義弘(京島共同凸工所)によって書かれているものです。

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