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京島の10月|4. 赤富士・ボツワナ・募金箱

雨が降り、半袖では寒いくらいの朝。午前中から遠方で取材があり7時前の電車に乗ろうとして、またしても東武曳舟駅と京成曳舟駅を間違えた。京島のアクセスの良さはなかなかのもので、渋谷までも電車1本で行くことができる。時代の先端である渋谷と、時代に忘れ去られたような京島を往復した日には、東京という括りの大きさに混乱する。

取材を終えて夕方に帰ってくると、早起きゆえの眠さもありヘトヘトになっていた。帰宅中、行き場のない古い建具を見に行かないかと誘われたが、時間と体力が間に合わなかった。京島で暮らしていると「今日の○○時から」「この後なんですが」といった誘いが度々起きる。その全てに行きますと答えられたら、また新しい出会いや発見があるのだろうが、生活のリズムや予定も先行してしまう。自分の中で優先順位を立て、広げていきたいもの、パスしていいものなどを取捨選択し、限られた時間の中で暮らしを組み立てていく、そんな贅沢な悩みが味わえるだろう。

EXPOの展示やイベントもその通りで、既にいくつか取りこぼしているし、今後もコンプリートはできなさそうだ。幼い頃、新聞のテレビ欄を眺めて「この全部を見ることは絶対にできない」という事実にゾッとしたことを思い出す。人の暮らしは幾重にもあって、その全てに触れて記録することなんて、誰にもできやしない。少しずつ垣間見て、触れて、可能なところを自分の生活の一部にしていく他ないのだろう。


夜、自宅で一休みしてから、歩いて電気湯に行く。元々銭湯は好きだったが、電気湯と出会ってその場所が果たす役割の広さに驚かされた。初めて京島に来た日、知人の紹介で出会った店主はタンクトップに半パン、分厚い肉体ですっと立ちながら、ノンストップで10分ほど話してくれた。街における銭湯の役割、フラットでありたいこと、地域の暮らしをリサーチしていること——。そのときはあまり噛み砕けていなかったのだが、半年ほど住んで、それらの意味が少しずつわかり始めた。

銭湯としての営業が休みの土曜日には、DJ、ライブ、演劇、ヨガ、さらには政策対話などのイベントが行われたり、全国各地のフェスに特製のTシャツやステッカーを引っ提げ出店していたりする。曜日ごとに変わる若い番台たちとともに、行く先々で仲間を作って帰ってくる。その能力やフットワークの軽さは、日々の接客や会話で培われたものなのだろう。サウナ室の時計を買い直すために、一円の桁まで堂々と目標金額が書かれた募金箱にも、そのオープンさが滲み出ていた。あそこに行けば誰かに会える。一言や二言であっても、言葉を交わせる。そんな場があることの安心感は、ささやかだが大きなものだろう。


今日の浴室には世界を旅するヴァガボンドによる写真と手記が貼られていた。赤富士を背景にしながら、ボツワナの写真を眺めていると、いよいよ自分がどこにいるかあやふやになる。初めて電気湯でお風呂に入ったのは、京島を何時間も歩き回って取材した暑い日で、ヘトヘトの体でお湯に入った瞬間、どこか遠くへ旅をしたかのような錯覚が起きた。当時の生活圏と京島での出来事に、電車1本で繋がっているとは思えないほどの差があったからだろう。昭和歌謡の流れる待合室も、時間が止まっているようで、このまま人生の終わりまで変わらないような気がした。

浴室の高い天井には、青・黄色・緑の3色でアーチが描かれている。京島、東京、ボツワナ。想像力で世界をつなぐ虹のようだった。週に一度の薬湯に浸り、桜の香りをまとった体で外に出る。使用済み乾電池を集める収集箱が現実の暮らしへと引き戻す。雨はすっかり止んでいた。

このnoteは「すみだ向島EXPO2023」内の企画、日誌「京島の10月」として、淺野義弘(京島共同凸工所)によって書かれているものです。

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