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京島の10月|3. 建物と土の記憶

よく晴れた火曜日。燃えるゴミを回収に出し、午前中は自宅でオンライン会議などを行う。京島は商店街を中心に、昼ご飯の選択肢がとても多い。そば、中華、カレー、定食。お惣菜を買って、自宅で炊いたご飯と食べるのも良い。いつかは商店街の店を制覇したいと思う。

商店街の入口には爬虫類館分館——本館はないし、爬虫類もいない——という建物があり、日替わりで様々なお店をやっている。たまたま訪れた日のタイ料理が気に入り、曜日とタイミングが合えば、時折訪れるようになっていた。カオソーイは程良い辛さのスープと、歯ごたえのある乾麺が楽しく、スパムおむすびと合わせて食べるのが気に入っている。いつの間にか店主が顔を覚えてくれて、街のイベントなどでも言葉を交わすようになった。凸工所にも足を運んでくれて、生活の延長で、それぞれが場所や店を営んでいる関係にこの街らしさを感じる。

爬虫類館分館は長い歴史を持つ場所だ。初めは修理しながら住まわれ、仲間を集めてシェアカフェとなり、マスターも何代かに渡って引き継がれてきた。昼間は飲食がメインだが、夜には読書会や英会話レッスン、仲間内でのスナックのようなイベントなどが行われている。かくいう筆者も、街の合唱団の練習場所として何度も使わせてもらった。昼にお腹を満たし、夜には歌う場所になる。公民館や多目的ホール、そんな表現が陳腐に聞こえるほど、使われ方が広いのだ。何かを思いついたり、挑戦してみたいときに、まるで部室のように使える場所として、皆に親しまれている。運営体制の変化など乗り越えねばならない課題もあるようだが、街にとって大きな意味のある場所であり続けるだろう。

夜には京島駅で行われたイベント、すみだ向島アートフォーラムへ参加した。凸工所がオープンしてすぐ足を運んでくれた方の主催するイベントで、筆者自身、この街における「アート」の位置付けが噛み砕けていないこともあり、話を聞くべく申し込んだ。京島駅の2階は大きな和室になっており、20名ほどが座布団の上にずらりと並んでいた。

経営に役立つ創造性を学ぶ場という副題に沿った議論も起こるなか、この建物自体がどう生かされているかという話が印象に残った。元米屋が古くなり、このままでは壊されてしまう。物理的にも文化的にも残していくために——延命すること自体の逡巡もあったそうだが——呼び出されたのが、建物のリフォームも手がけていたアーティストだった。

凸工所の整備や設えも行うその方は、美大卒ということで、近所の人々からあれこれ依頼されるうち、いつの間にか大工や施工が生活の手段になっていたという。自身の作品について「あまり意味は考えてない」と言いつつ、この建物自体に刻まれた絵画や模様、建築構造や居心地良い空間を実現する力自体がパワフルで価値あるものに感じられた。

京島駅には深い穴が掘られており、その土が外装にも利用されているという。施工に適した品質とは言えないそうだが、そこに街で採れた葉の模様を型取ったり、近所に住む人と一緒に作ったりすることで、この土地の記憶が刻まれていく。京島の土からは水やガラスの破片が出てくるが、八広では鉄くずが取れるといった声も会場から聞こえてきた。

爬虫類館分館も京島駅も、ただそこに当たり前のように建っているように見える。しかし、そこに刻まれてきた生活の記憶や、手をかけてきた人々の顔ぶれは、きっと途方もないものだ。暮らしの記憶が息づく街、そんな雰囲気を象徴するように、トークイベント中の会場には、階下で飼われるニワトリの声が響いていた。

このnoteは「すみだ向島EXPO2023」内の企画、日誌「京島の10月」として、淺野義弘(京島共同凸工所)によって書かれているものです。

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