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京島の10月|15. 自分を持ち寄る

昨日は取材で体力的に、分館の今後を考える会で精神的に盛りだくさんな1日だった。ゆっくり休みが取れておらず、ちょっと体調も全快じゃないなと思いつつ、午後からのワークショップに向けて準備を進める。

弱い雨が降っていたが、パーカーを着て自転車を走らせ、近くのオリンピックに併設されたホームセンターへ。少し時間がありそうなので、フードコートでラーメンと餃子丼をチョイス。わかりやすいエネルギーを体が求めていた。食品エリアで買い物をする人々を見て、ちょっとだけその平穏が羨ましくなった。

今日のワークショップは特にテーマを決めておらず、凸工所の紹介を兼ねたカジュアルなものだった。使うマシンも決まっていなかったので、全部をセットアップしてデモを見せれるようにしたのだが、フル稼働という感じでよかった。電力も問題なく動くのは、ここが元工場ということも関係しているのだろうか。

EXPOのお客さんも時おり交えながら、参加者は三者三様のアイテムを作っていく。好きなキャラクターのストラップ、友人に贈るお酒のパネル、名刺代わりに自分の漫画を彫刻したキーホルダー。それぞれ身につけているもの、好きなものや作品があるのが素晴らしい。

デジタルファブリケーションは、他のジャンルと掛け合わせたときに力を最大限に発揮する。「ファブ×○○」における○○を見つけるか、×の部分として腕を磨くか。そのどちらも狙っていきたい。協力的な参加者にも助けられ、時間をちょっとオーバーしつつも無事終了。こういう体験会的なイベントは定期的に行ってもいいかもしれない。

18時近くなり、夕刻のヴァイオリンを聴きに行く。EXPOの来場者はもちろん、世界各地から集まった出展者たちも多く、自分が見てきた中では今年最多の人数だったように思う。今年のEXPOも脂が乗ってきたな、という妙な表現が頭をよぎった。

終了後、知人も交えて演奏者本人から話を聞いた。毎日5分前まで人はまばらで、窓を開けるまでその日の光景はわからない。でも、窓越しに聞こえる会話の片鱗から、誰がいるだとか、どんなことを話しているが聞こえてくる。そうすると、今日もみんなが1日を持ち寄ってくれたと感じるんだよねと、そんなことを聞かせてくれた。

この日誌では度々、人の暮らしの多様さと、それを記述することの無謀さに触れてきたが、1日を持ち寄るという表現がすごく腑に落ちた。みんな違って、みんな何かを抱えている。それを全てさらけ出す必要はないけれど、5分だけでもそんな1日を持ち寄れば、影が重なって濃くなるように、その街や暮らしは少しだけ良いものになる。そんなふうに思えた。

いつも以上に展示やイベントで賑わうけん玉横丁で楽しく寄り道しながら、遊びに来てくれた知人に凸工所を案内する。先月、下北沢で行われたイベントでEXPOのチケットを買ってくれた方だ。午後2時ごろに着き、たこ焼きを食べたり、足が水浸しになったりしながら、この街を楽しんでくれたという。

去年、一来場者として情報量に揉まれていた自分のことを思い出す。あれから1年が経ち、すっかり街を案内する機会が増えたなと、おしるこちゃんを紹介しながら思う。街の外の人には紹介できるけど、街の中の人にはまだ遠慮する、そんな奇妙な立ち位置を感じる2日間だった。


このnoteは「すみだ向島EXPO2023」内の企画、日誌「京島の10月」として、淺野義弘(京島共同凸工所)によって書かれているものです。

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