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失敗・災難から学ぶ知恵

海外生活が長かった皆さんには 「課題解決型学習(PBL)」や「アクティブ・ラーニング(AL)」は耳慣れない言葉かもしれませんが、新しい学習指導要領の基本にある学習観です。わが国では 2000年頃までの学習観が “知識や技術を教え込む” スタイルであったのを、“学習者が主体的に深く学ぶ” スタイルに変えようとしているのです。

知識伝達型から 不測の事態への対応力へ

かつての知識伝達型の教育では、「人間が生まれた時は『Tabula Rasa(白紙)』の状態であり、教師はそこに知識や技術を注入する」という考え方でした。また 学習者に与えられる試験も 予め “正解” が決まっていて、“正しく早く解答できる力” が要求されました。それは経済産業界からの要請でもあったのですが、知識や技術を「知っているかどうか」ばかりを試す “クイズ” を続けていった結果、日本社会全体に「偏差値偏重」や「序列競争」といった不毛な争いが常態化しました。

しかし、人工知能(AI)の発達により、過去の経験・知識に基づいた判断や 定型的でスピードを要するような仕事は “自動化” されていきます。従来あった職業が 次々と “器械” に代替されていく時代になっているのです。また、 地球環境の変化や人口爆発、食糧不足など、人類は今まで経験したこともない難題を抱えています。
オクスフォード大学のマイケル・オズボーン教授たちが 『2040年代の予測』で、「過去のデータや経験に頼る仕事では、人間は人工知能の正確さ・速度に敵わない」「不測の(何が起こるか判らない)事態への対応は 人間にしかできない」として、人間の約6割が いま存在しない仕事に就く時代になると予測しています。つまり、芸術・歴史・考古学・哲学・神学などの抽象的な思考や判断、デザイン、あるいは ヒューマン・コミュニケーションが大事な仕事が増えていくというのです。

したがって人間は、「人工知能を使いこなす」あるいは「既存の知識等に囚われない創造的な頭脳を育てる」必要に迫られています。そのために学校教育も、教師主導ではなく「学習者が自ら考え 体験し 話し合う過程」を中心に据えざるを得ないのです。
また、国内労働市場の2割以上を外国人が担うようになると、多民族・多文化への対応力が必要となります。学校教育の現場でも “異文化育ち” の子どもの比率が上がり、「世界のどこに居ても、どんな背景を持つ人ともチームを組んで働き、好い結果が出せる人財」を育てざるを得ないわけです。

「思考錯誤」こそが ”学び” の原点

そもそも “学び” は、多くの課題や欲求を抱えていることから出発し、様々な思索や挑戦をし 失敗を重ねていく過程で生まれ、蓄積されています。つまり「試行錯誤(Trial and Error)」こそが 生命体の “学び” の原点なのです。
また、「学習ピラミッド(Learning Pyramid)」もよく引用されます。 一斉授業や講義で学習者の頭に残る内容は わずか 5%、資料や書籍を読む場合は 10% とされる一方で、他者と議論すれば 50%、経験・練習など実地訓練をすれば 75%、学んだことを他者に教えれば 90% といわれます。
(参考: https://habi-do.com/learning/learning-pyramid/)
つまり、学習者が能動的になればなるほど 学習の定着化を図れるのです。逆に、定着率が高くなるものほど 他者との関わりも必要であり、かつ 主体性・能動性が求められるといえますから、探究型や課題解決型の学習を導入すると、学習定着率が上り、効率的で「学び続ける意欲」が育つわけです。

また、自然災害や大規模な事故、あるいは戦災などがあるたびに、人間は “教訓” を探し “将来の糧” にしようとしてきました。経験は直ぐに “風化” していきますが、「事態を招いた/悪化させた要因は何か」「今も残る危険(risk)と その対策は?」といった普遍的なものを 人類全体で共有していくべきでしょう。
涙ぐましい苦労や努力をした現実を客観的に捉え、「災害や非常事態に対処する人財」「選択肢を増やし柔軟な判断ができる人財」を育てることに活かしていく教育が求められています。
群馬大学の片田 敏孝 教授の報告「釜石の奇跡」によれば、津波の避難訓練を8年間やった岩手県釜石市内の小中学校では、2011年の東北大震災の際には 子ども 3,000人が即座に避難し、生存率 99.9%だったそうです。片田先生は、① 想定マニュアルに拘り過ぎない<脱マニュアル>、 ② ミスを怖れず、ベスト・最善を尽くす、③ 指示を待たずに 一目散に逃げる<脱指示待ち> 等を “教訓” として提示されています。

難問と向き合い続ける意志力を

人工知能では解けない難問と向き合い続けるためには、失敗を重ねても挫けない意志力や、瑞々しい感性、あるいは人類全体に対する責任感/倫理観などを、幼い時から鍛え上げていくしかないでしょう。各教科も “試験のための暗記科目” とするのではなくて、“社会を変えていく力/生き抜く力の養成” というの原点に戻るべきです。そのために "試行錯誤" を繰り返す 「課題解決型学習(PBL)」や「アクティブ・ラーニング(AL)」は有効といえます。

こうした “学び” の過程は、自らの頭で考え選択し続けることでもあります。
その際に 「他人と比べてどうか?」とか「正解を出して褒めてもらいたい」とかいう邪念が入るのが、偏差値教育の弊害です。「他人に馬鹿にされたくない/損はしたくない」などと "危険(risk)" を避ければ避けるほど、平凡で面白みのない選択肢しか残りません。昨今の「~映え」を求める心理は、そうした偏差値思考への反動ともいえますが、「他の人とは違う+格好いい(と褒められる)こと」を求める衝動なので、ものごとの基本的な解決には 至りません。“外れる危険” など気にせず、辛抱づよく 本質を探究していく “学び” こそ求められているのです。

学校教育では、子ども一人ひとりの “学び” を妨げている要因を見つけては、それを取り除くように努力しています。それは例えば、農業において 水路に溜まった石ころやゴミを取り除くことで流れをよくしたり、土地の養分を横取りする雑草を抜いたりすることで、作物の成長を促すことと似ています。しかし、これからの “学び” は、学習者自身が そうした障害物を取り除いたり、逆にそれを活用したりする創意工夫が、どれだけできるかにかかっています。
なぜなら、最終的な成功や好い成果は、"諦めずに難問と向かい続けた者" しか手にできないからです。 学校教育や教師が支援できるのは、その初歩部分(でも最も基礎的で大事な部分)に過ぎません。

「うまくいかないこと/うまくいかない自分も 面白いと思えること」
(プロスケーターの荒川静香さん)


※ 海外生活カウンセラーの福永佳津子さんとは、30年以上「海外安全」につ
  いて議論を重ねてきました。『月刊 海外子女教育』2018年9月号の「自然
  災害や災難から子どもを守る」も その成果の一つです。

※ 福永さんは、「最近は、失敗や災難に遭ってから『~すべきだった』と落
  ち込む人が増えた」と話されてます。かけがえのない人や物を失ったりす
  ると ショックですが、「あの人/あれが 身をもって教えてくれた」と 考
  えるべきでしょう。 そうでないと 犠牲になった人・物は浮かばれません。


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