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海外の日本人高校の必要性

かつては 海外子女教育の最大の課題は「帰国後の高校教育に円滑にアクセスできるか?」ということでした。しかし、「国内の中学・高校が グローバルなマーケットに投げ出される」時代になった今、高校教育はどこの国のものを受けても構わないのかもしれません。
「グローバルなマーケットに投げ出される」というのは、① 海外にいる生徒が「国内の学校も選択肢の一つ」と考えている、② 国内にいる生徒が「海外の学校も選択肢の一つ」と考えている、あるいは ③ 海外の大学に進学することを前提にした教育を 国内校に求めている、という意味です。
ここでは、これまで保護者の頭をもっとも悩ませてきた「中学から高校・大学等に続く教育の継続性」という課題に焦点を当て、それが最も切実に現われているヨーロッパを例に考えてみたいと思います。


できては消えていく日本人高校

そもそも海外に在住している日本人は、企業・団体等の駐在員だけでなく、移民同然で出かけている「長期滞在者」(研究者や専門職・芸術家など、あるいは国際結婚で渡航した人など)がその数倍います。彼らに帯同される子どもが、日本人学校中学部を卒業後も現地に留まる場合、教育機会は極めて限られます。
1972年に立教英国学院が開校して10数年間、"空席待ち" の数が在校生数を上回るほどの “人気” がありました。ヨーロッパ全域だけでなく 中近東・アフリカからも、生徒が殺到してきたからです。

ヨーロッパの日本人高校 — 生徒数の推移

その状況を背景に 日本の私立学校法人がヨーロッパ各地に次々と日本人高校を開校し、1992年には上記の11校となりました (注)。
しかし、1999年にドイツ北岸のブレーメン市にあったブレーメン国際日本学校が10年で閉校すると、英国サフォーク州(ロンドンの東北方向)の英国四天王寺学園、バッキンガム州ミルトンキーンズ市の英国暁星国際学園、ダブリン市郊外の駿台アイルランド国際学校、フランス西部キンツハイム市のアルザス成城学園が 相次いで閉校します。すると デンマークのプレストン市にあった東海大学デンマーク校も募集を停止します。そして、ドイツ南部シュツットガルト近郊に誘致されていたドイツ桐蔭学園が2012年に、フランスのトレーヌ市(パリ南西、電車1時間)にあったフランス甲南学園が、2013年に22年の歴史を閉じました。
したがって 現在は、 立教英国学院帝京ロンドン学園スイス公文学園のみ・・・・・  下の地図で青丸マークの3校のみになってしまいました。そして、2020年1月に 英国がEU(ヨーロッパ共同体)から離脱したため、EU域内には日本人高校が 1校もなくなってしまいました。

注)ヨーロッパ以外では、1989年にテネシー明治学院(米。2007年閉校)と南クィーンズランド アカデミー(豪。1999年閉校)、1990年に 渋谷幕張シンガポール校(現 早稲田渋谷シンガポール校)と慶應義塾ニューヨーク学院も開校し、1992年時点で 世界中では15校できていました。 

日本人高校の需要は大きい

では、日本人高校の需要は 本当になくなったのでしょうか? 確かに政府機関や企業・団体等の駐在員家族には、さほど魅力は感じられないかもしれませんが、その数倍いるであろう「長期滞在者」の家庭からは、要望の声が上がっています。
高校段階ともなると、現地校やインター校で授業を受け、それなりの成績を取ることは容易ではありません。「我が子の苦しみや悲しみを、なんとか救ってください」と頼る先(教育シェルター)は、補習授業校の高等部と日本人高校しかないのです。
たとえ現地校等で芳しい成績が取れていなくても、日本人高校で学び直してなんとか高校卒業の資格を得られさえすれば、世界中の大学等への進学の路も開けます。

上海日本商工クラブが2010年、上海日本人学校の中に高等部を開設することを決議したのは、大学への路を開くことで 小・中学生の早期帰国を抑制し、日本人学校全体の経営安定化を図ろうとしたからです。
実際のところ、高等部の開校前に9つの名門大学から特別選抜枠を保証されることが判明すると、中学入試準備のための早期帰国者は減り、学習塾からも好意的に受け取られました(笑)。
もちろん「できるだけ親子いっしょに暮らしていたい」という保護者の強い心情にも 応えることができました。

当然ながら、「せっかくこの国に来たのだから、現地校かインター校に入れてみたい」などの “なんちゃってバイリンガル” に安易に挑戦している家庭も少なくありません。そんな家庭の子は、学校では日本人に対する差別、言語や学校文化の違いなどに苦しんでいる例も多いのです。
しかし、現地校等で成績が芳しくない子の保護者が、日本人学校に泣きついてきても、小・中学部での対応は難しい・・・・・ 受け入れれば “日本人学校離れ” を助長してしまうからです。
上海日本人学校では「高等部から入ってください」と答えてました。高等部は小規模ですし、“お受験ママ” たちもいませんから、じっくり指導ができるのです。その現地校等とは格段に異なる面倒見の良さと “出口”(国公立・名門私立大学に進学している卒業生が多い)の安心感も好評を得て、コロナ禍に見舞われた時期でも 高等部の在籍者は減りませんでした。

パリ日本人学校高等部の構想

しつこいようですが、ヨーロッパには日本人高校の必要性/需要が相当あるのです。
1990年代、次々と閉校/撤退していく日本人高校を横目に見ながら、パリ日本人学校に高等部を創る運動を続けてきた保護者たちが、現にいます。「世界で最も美味しい野菜を作る農家」として世界的に知られる山下朝史さんも、その一人でした。
そして 2019年、パリ日本人学校に小野江 隆 校長が着任すると、状況は一変します。小野江校長は、上海日本人学校高等部ができる時に 隣の蘇州日本人学校(共に上海総領事館の管轄内)に校長として赴任し、高等部の存在意義の大きさと効果をつぶさに見ていました。
小野江校長自身も、文科省からパリ日本人学校の “再生” を期待されて派遣されていました。さまざまな試みの一つに「日本の高校卒業資格の付与」も掲げてあり、校長自身が先頭に立ってプロジェクトを練り上げます。

小野江校長のアクションプラン

「パリ日本人学校高等部」を創ろうというプロジェクトは、菅政権の「スーパーシティ構想」に 群馬県前橋市が名乗りを上げた際の 目玉政策の一つでしたが、残念ながら前橋市が落選したこともあって、頓挫しました。
上海の高等部でも課題になった「外務省助成で建てた校舎に、幼稚部・高等部を開設できない」という法律も障害でした。また、企業・団体等の駐在員(=数年でパリから転出する人たち)を中心に構成される 日本人学校運営委員会も、及び腰だったのです。

EUにも日本人高校を

2021年、山下農園の地元のシャペ村から支援の申し出があり、運営母体となる財団法人「山下アカデミー」も設立されます。18haの “農場付きの古城” が提供されるということで、「パリの日本人高校」は俄然、現実味を帯びてきました。
しかしながら、教室に使えるように施設を改修したり、スクーリングや合宿ができる宿泊施設も用意するとなると、2,000万ユーロ(約38億円)が必要という試算が出たほか、土地の用途変更や改修工事に要する時間も4年以上かかることが判明、プロジェクトは一時 暗礁に乗り上げました。

現在、フランス各地には補習授業校が約50校もできています(その内 21校のみが外務省に認知され 助成されています)。パリの西の郊外にあるサンジェルマン・アン・レイ補習授業校(山下農園の東南 約10km)には、150名前後の子どもが毎週通っています。
2023年、そのサンジェルマン・アン・レイ地区にある、シャンブルシー町(人口6千人余り)が「山下アカデミー」のプロジェクト実施自治体となってくれるというオファーがあり、2025年の開校に向けて 教育施設と農地の提供が表明されました。
つまり、「山下アカデミー」の理事会メンバーとなったシャンブルシー農業高校が必要な教室を提供し、学校から わずか5分の場所にある30haの農地で農業実習が行えることが確実になったのです。

サンジェルマン・アン・レイ補習授業校に近い農業高校に、「山下アカデミー」が開校します。

「山下アカデミー」の中には、日本人高校のほかに 国際農学部と日本料理専門学校の3学部が開設される予定で、必要な投資規模は 200万ユーロ(約3.8億円=シャペ村の10分の1)と見積られています。
既に募金活動も始まっていて、シャンブルシー町議会でも この農業施設のために 60万ユーロの予算を計上しているそうです。
まだまだ大変な事務量が必要でしょうし、いろんな障害も出てくることでしょうが、「EUで唯一の日本人高校」の実現を応援したいと思います。

「野菜を育てる農家のための国際農学部」
「在ヨーロッパ日本人のための高等学校」
「ヨーロッパ初の日本料理の専門学校」
の3学部を開設予定(↑ クリック)

※ 海外に学校を創るためには?
上海日本人学校高等部の設立準備プロジェクトの記録
グローバル化社会の教育研究会(EGS)

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