見出し画像

福田翁随想録(29)

 趣味が活かされる喜び

 己の病歴を改めて顧みると、災いがうまく福に転じられた運だったと思わざるをえない。
 腰痛で入院するまで頑健を売りにしていた高慢な男は車椅子でしか移動できないという挫折を味わわなければ、到底絵を描くチャンスには恵まれえなかっただろう。さらに陶芸の世界に足を踏み入れることもなかっただろう。
 引退後に渡ったカナダで肺炎に罹り死地を脱したればこそ、それからの生活が自分でも驚くほどの充実したものとなった。
 各国からの留学生たちに交わってブリティシュ・コロムビア大学で英語の勉強、自動車運転免許証の取得、ウエスト・トレード島におけるひと夏の体験、六千キロの単独横断旅行など挙げればきりがないほどのいろんな体験を積むことができた。それも異境での病臥で一日一日がいかに大切かを教えられたおかげである。
 淡路島での一ヵ月の本断食がなければ胃がんの早期発見はできなかった。
 断食が終われば食欲は正常に戻るはずなのに好物の麺類にも手が出なかった。その後大吐血して病院に担ぎ込まれ、腫瘍が見つかり摘出手術を受けることができた。

 話は変わって、友人の医者の話だ。
 彼が名誉教授になった直後に、これからは今までのように気軽に研究室に出入りすることは遠慮してほしいと申し渡されたという。
 私も名刺社会から縁がなくなってから相手の目つきや応対が変わるのが棘の刺さるように分かった。愛想よく挨拶を交わしていた人が急によそよそしくなる。なかには目をそむけて通り過ぎる人もいた。しかし私も現役の頃そうしていたかもしれず、世の薄情を慨(なげ)いたり怒ったりするのはこちらの勝手なのかもしれないが。
 裸の人間同士の付き合いをしてこなかったことが骨身にこたえるが、その傷む分だけ世の中のことに無知だったことに思い至り、反省させられる。さればとて卑屈になることもない。 
 恋々として今までの職場に足を運び、することもなく虚しく帰ってくるという人もいるようだが、未練をいつまでも断てないようでは情けない。先輩面したり、いつまでも後輩扱いしていては引退したケジメがつかないことになる。
 こう書いていて思い出すことがある。
 ある人が知事の時、県政顧問会議を設けて年に二回名を成している高齢者を集めていた。そろそろ開かなくてはご機嫌を損じるかもしれない、と本心は来てもらいたくないというのが事務局の陰の声だとは知らず、「召集のお知らせを受ければ何が何でも出なくてはね。郷里のお集りには欠席できませんよ」などと嬉しそうに話すメンバーもいた。
 知らないのはご本人だけといった戯画だった。このような裏での駆け引きを見ていると先輩風を吹かすのは滑稽以外の何物でもないことが分かる。
 年の功を誇る人もいるが、私自らが超高齢になってみて今までの経験や知識などたかが知れていると自覚している。

 先ごろ趣味で絵を描いている知人がたまった絵の処分に困って知り合いの画廊の主人に相談したところ、自分の店で個展を開いてみたらどうかと勧められ、その運びとなり、私の所にも案内状が届いた。
 都心ならいざ知らず、遠方までとても訪ねる気がしなかった。都心でさえ最近の個展ばやりに応接しきれないでいる。彼の成果はどうだったか探索はしないが、結局会場費負担に弱ったのではなかろうか。
 別の知人は折り紙が得意で、一枚の紙でよく巧みに作れるものだと感心させられていたが、偉いことに老人クラブや病院に出かけて行き伝授しているという。手先を使うので意外なほど喜ばれていると社会参加に満足の体で、こちらもその模様を伺うのが楽しい。
 私がまだ現役の時に看護学校の戴帽式に招かれて患者代表として一席弁じたことがある。式場は電燈を消してローソクの灯だけで厳粛、荘厳な雰囲気だった。
 私は戴帽式を題材にして何枚描いたかわからない。描き上がったものは、県立中央病院、医大付属病院、赤十字病院などに寄贈してきた。
 先ごろも救急車のご厄介になった病院の看護学校にも二点描いて寄贈したが、いずれも目立つ所に飾られていて喜ばしかった。
 趣味がこんな具合に活かされるとは幸甚の至りである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?