見出し画像

不穏な話の続きは

 
 今朝も不穏な言葉のやりとりからスタートしてしまう。
 毎回きっかけは極めて些細なことで、互いのちょっとした他愛ない言葉、なにげない振舞い、不始末などからだ。
 その根っこにあるのは互いの日頃のたまった不平不満だとわかっているのだが、売り言葉に買い言葉でついマジになってしまって、終いには大きな齟齬を引き寄せてしまうことになる。 
「歯磨きチューブのキャップはしっかり閉めてくれる?」
「えっ? 閉めてなかった?」
「だからね、いっつも閉めてないの!」
「そんなことないだろ」
「いえ、いつもなの!」
 これで今日一日、なにもかも上手くいかなくなる不運な空気を呼び込んでしまう。
「朝一から喧嘩は止めようぜ」
「喧嘩じゃないっしょ」
「言い方が粗野すぎる」 
「粗野?」
 この流れを好転させることはなかなか難しい。うまい具合に千切れたサニーレタス、刻まれたキャベツ、目玉焼きの焼き加減、ベーコンの焦げ目のつき方、ミルクとオレンジの注ぎ具合……そんなちょっとした朝の幸せ感、空気感など一瞬にして吹き飛んでしまう。
 尾を引く重い雰囲気に包まれて、黙々と食べ始め、食べ終わる。
「今日、私、帰りが遅くなるから」
「そうなの?」
「夕飯は適当に食べてくれる?」
「適当に……」
「食材が足りなければ、買ってきて……」
「買ってきて……」
「私の分はいらないから」
「そうですか。了解しました。適当に済ませます」
 その言い方に反応して、威圧感たっぷりの抗戦的な眼できっと睨まれる。
 
 そこまで書いたところで、階下から語気強い声が上がってきた。
 置時計を見る。いつもの朝食時間より早い。
「ちょっと、来て」
 明らかに何かに怒っている。
「今じゃなきゃダメなの?」
「すぐ来て!」
 リビングで腕組みして待ち構えている。
「なに?」
「これ!」
 視線の先の観葉植物を見る。
「水あげたでしょ」
「ああ、あげたよ。朝起きてすぐ」
「あげ過ぎないようにとか考えなかった? 観葉植物はそんなに水あげなくてもいいのよ」
「えっ?」
「えっ、じゃないわよ。鉢から漏れちゃってるでしょ!」
「漏れてる?」
「朝忙しい時に余計な仕事させないでよ」
 
 尾を引く重い雰囲気に包まれ朝食を黙々と食べ始め、食べ終わる。
「今日、私、帰りが遅くなるから」
「そうなの?」
 ――書いてる話とまるで同じ会話だ……。
「適当に食べてくれる?」
「えっ?」
 ――酷似している。
「冷蔵庫にある食材で足りなければ、買ってきて……」
 ――えっ、えっ? もしかしたらあの話が呼び寄せちゃってるんじゃ……。
 適当に済ませます、という言葉が頭に浮かんだが、皮肉な言葉がなにを惹起するかは確認済みだ。
「分かった。たまには、ゆっくりしてくるといいよ」
 すっかり心を入れ替えた寛容な夫役を演じてみせる。
「あら? 気持ち悪い」
 探るような怪訝な眼がまっすぐ向けられている。
「なにか良からぬこと考えてるでしょ?」
 クールに言い放たれた言葉とは裏腹に、剣のある表情はすっかり消えていて、すこぶる穏やかで、口元には笑みさえ浮かべている。
 
 書きかけの原稿がこれ以上奇妙なことを引き寄せてこないようにばっさり削除した。
 今夜、多分、この一件は同僚のM子さん、N代さんに尾ひれをつけてきっちり報告されることだろうが、この不穏な話はそれでおしまいだ。
 なにも呼び込んできたりはしないはずだ。そう願うしかない。
 
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?