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福田翁随想録(23)

 上には上、下には下がある 

 胃潰瘍で胃袋の大半を失ったせいで痩せ姿になった。どうにか元の標準体型に戻らないものかと、浅はかな考えで食欲もないのに無理に押し込んだのがいけなかった。腸閉塞で何度も入院する羽目になった。
 入院するたびに次から次へと何種類もの検査を受けさせられ、その拷問のような恐ろしさと苦痛に耐えなければならなかった。近ごろになってやっと、いまさら格好をつけることもあるまいと悟ったおかげで体調の方は落ち着いている。
 わが身が非常事態に陥れば、さすがの憂国の士も哀れなもので、政局がどうなろうとアメリカの大統領が不適切なことをやろうが、いわんや横綱が勝とうが負けようがきれいさっぱり頭の中から消えてしまう。病状が快方に向かえば、性分というのは正直なもので病院の売店の開くのが待ち遠しくなる。また新聞をどっさり抱えて帰り、かつてのように丹念に読み比べて「憂国の士」に戻る。
 病室から廊下に出ると、何度も高齢の婦人が夫と思しき老人の乗った車椅子を危うい足取りで押しているのに出くわした。これからは老々介護が当たり前になるのかもしれないと感じ入った。
 また病院には交通事故なのかまともに見れない重傷者も入ってくる。処置室前の廊下は大変な賑わいで、上には上があり、また下には下があるとつくづく思う。わが身の不運を嘆きつつも比べては自分を慰めていた。
 日曜日の病院は人の姿が少なく、いつもとは違う静けさがある。「もののあわれ」さえ覚える。平素は歌心もないのにこういう句を詠んだ。
 病棟の廊下の先に立つ人の
 影長々し 日曜夕づく
 どこの方か知るべくもないあの人はなにを病んでいたのだろうか。私のように無聊(ぶりょう)をかこって夕陽を眺めていたのであろう。 

 ある土曜の夜、医学生と看護師によるコンサートが催された。会場となった看護師詰所そばのホールにはクリスマスツリーが飾ってあり、色とりどりの豆電球が点滅していた。
 学生の中には楽器を手にしたばかりの人も混じっていてとても見事な腕前とは言い難かったが、入院患者を気遣う誠意に溢れていた。この人たちがいずれ医者になったら患者の身になって施療する「人間医師」になってくれることだろうと頼もしかった。
 二階のフロアにも患者が溢れていた。私は点滴棒をお供にした格好だったが、後ろを見ると松葉づえあり車椅子あり、薄暗がりに目を凝らすとベッドのまま運ばれてきている婦人もいた。
 合唱では『きよしこの夜』『サンタが街にやってくる』『ジングルベル』などの定番の曲が歌い上げられた。
 私は不覚にも滂沱(ぼうだ)たる涙を禁じ得なかった。アメリカとカナダで、たった一人で味わったクリスマス風景が走馬灯のように駆けめぐり、わが青春の日々を回想したからである。
 屋根にまで派手な電飾を煌めかせた邸宅群の中を走り抜けた、サンフランシスコ郊外。
 イヴのミネアポリス。白銀に覆われた広い街路、両側の亭々(ていてい)たる白樺、雪煙を立てながらミシシッピー川を越え対岸のセントポールに向かっていた私は、まるで二頭だてのトナカイを御するサンタクロースにでもなったかのような錯覚にとらわれていた。
 セントポールの自宅に招いてくれたゴードン夫妻は心から歓待してくれた。夫妻は英系の礼儀正しい人たちだった。その後ロサンゼルスに移住したが、しばらくクリスマスカードを交換していた。
 バンクーバーでのクリスマス・パーティーに招かれた時は、旧家だったので伝統にのっとった厳粛な雰囲気に包まれていた。
 あのような宴に招かれることはもう二度とないだろう。若い時の幸運だった。
 病室に引き上げてからも私の涙は果てることがなかった。

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