福田翁随想録(18)
眼で聴き、耳で視る
吉野山の麓に住んでいる越智直正氏からの手紙に「山を歩いているうちに風の道のあることがわかりました」とあった。
越智氏は仕事における確かな見識を持つ経営者のひとりで、このような感受性豊かな手紙を時々いただくことがある。
誰しもが一度や二度は経験したことがあるだろうが、けもの道とでもいいたい奥山道を歩いていて、眺めの良い、開けた場所に辿りつき、麓の方から這い上がってくる涼風を肌に受けてひと息つくことがある。彼はそのような場所で「風の道」を体感したのだろう。
彼の手紙はいつも手書きで、便箋六、七枚にびっしり端正な文字を綴って寄越す。
友人はいま六十歳になったばかりだが、かつて奉公で四国から大阪に出た時には主家にあった書物をよく拾い読みしていたという。当時はまだ未熟で、『孫子の兵法』を「まごこの兵法」と読んでいたそうである。今では読むたびに感動に打たれる、瑞々しい観察眼に裏打ちされた文章を書かれる。
私とは長い交流だが、私もまた喜んでいただくたびに手書きで返事を書く。
手紙の効用は実に大きい。相手のことを考えながら話しかけるように筆を走らせる。返事を期待しているわけではない。思いのたけを一方的に文字にする。
近ごろは電話で済ますことが多いのだろうが、また手紙であってもワープロが主流になりつつある。私は手書きで貰った方が喜びも驚きも多いように思うがどうだろうか。
私は八十歳過ぎてもいろいろなところから求められて書くケースに恵まれているが、肩ひじ張らないで相手と気軽に話をするつもりで書いているせいか、スラスラと言葉が出てくる。
石川啄木でも宮沢賢治でも実によく手紙を書いている。電話が今日のように普及していなかったから手紙を書くのは、なにもこの二人に限ったことではなかったかもしれないが。
啄木の場合、小説といわれるものに秀作は少ないように思うが、手紙には、短歌同様に心を打つ切実感がある。手紙を毎日のように書くことで、それが習練になって作品に深みを与えているのではないだろうか。
啄木に比ぶべくもないが、私の筆不精でない性癖が図らずも執筆に大いに寄与しているのかもしれないと思うことがある。
越智氏からの「風の道」の手紙に興を覚えて、早速手元の色紙にこうしたためて贈った。
風には音も形もない
しかし 風は存在する
その直後に、今度は和歌山でクリーニング店を経営している澤浩平氏からも手紙をいただいた。
澤氏は委託された品物には「生命」を覚えるという。「生命」を蘇生させてあげるという敬虔な気持ちで洗濯し、お返ししているそうである。その姿勢がいつしか広く知られるようになり、今ではマスコミにも取り上げられるほどの繁盛店になっている。
この友人には次の色紙を贈った。
生命には姿も形もない
しかし 生命は存在する
「生命」は抽象名詞だから、「風」と同様、なにか具体的な形を借りて存在を明らかにする。
「風」にしろ「生命」にしろ、われわれはこれを直接手で把握することはできない。しかし、実在しないわけではない。
われわれは日常の暮らしのなかで、五感で察知し得たものだけにその存在を納得する癖がついているように思う。
詩人である「青い窓の会」の佐藤浩氏のお宅に伺った時、掲げてあった『眼聴耳視』の額に感動したことがあったが、先ごろ同郷の佐藤善一翁の歌文集『三十一・五六(みそひと・ごろく)』(津軽書房)を読んでいて同様の心惹かれる一首に出会った。
跫音(あしおと)にぴたりと かはづ鳴き熄(や)みし
あのまなこにて聞き留めたるか
佐藤翁も卒寿になって緑内障が昂じて失明されたが、山田町長としてその人柄が高く評価されていた。『眼聴耳視』のことはご存じなかったろうが、五感を超越すればこうして共通の境地に達するのであろう。
子どもの頃に田んぼのあぜ道を歩いていて、それまで賑々しかった蛙の鳴き声が察知してピタリと鳴き止んだ瞬間の驚きを思い出した。
「眼聴耳視」の出典だが、一遍上人の『別願和讃(べつがんわさん)』に「眼のまへのかたちは盲(めしい)て見ゆる色もなし 耳のほとりの言の葉は聾(みみしり)てきく声ぞなき」とあるのを資料で発見した時はうれしかった。
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